梁山から来ました

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水滸伝関連書籍bot ひとこと感想 073


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「井木犴」という綽名、そしてこの出生にまつわるエピソード。

すごい奴が出てきたぞ!!と、ワクワク感を掻き立てられるわけですが……

特に井木犴に関する何かがあるわけでもなく、郝思文は普通に軍人として戦い、普通に死んでいきます。

 

「劣勢に立たされて戦線を離脱したところで井木犴に出会い、追いかけていくと、そこに傷を負った敵の中ボスクラスがいて、生け捕ることができた」

みたいなエピソードがひとつでもあれば、「他の地煞星上位の軍人たちとあまり区別がない」みたいな言われ方をすることも、なかったと思うんですけどね。実に勿体ない。

 

まあ、作品全体の傾向を見るに、そういう神がかり的なエピソードは魯智深李逵のような一線級の好漢にこそ許されたものであって、地煞星上位の軍人のなかから郝思文が頭ひとつ抜けることを、作者が許したとも思えないんですが。

 

 

ところで、「井木犴」とは二十八宿の一つ、「井宿」のことです。

昔読んだ漫画に、井宿の加護を受けたキャラがいて(というか井宿そのものなのかな?細かいことはよく憶えていない)、妙に軽っぽいキャラだったのが印象にのこっています。

その影響なのか、自分の中では郝思文は妙に軽っぽいイメージです。

 

……いや、そのキャラづけは、何かの影響というよりも、半ば「願望」なのかもしれません。

水滸伝』作中で郝思文の人となりがわかるような記述はほぼないんですが、相方の宣贊はその辺が割とはっきりしていて、

「賄賂やおべっかなどが嫌いな清廉潔白な人柄(ために童貫からは嫌われている)で、人を見る目がある」

ということになっています。

ただ、見た目に全てを持っていかれてしまい、読者たる我々は(そしておそらく梁山の兄弟たちも)あまり宣贊の本質にまで考えが至らないんですね。

それはやはり勿体ないことだと思うので、梁山泊のなかでは、宣贊の一番近くにいる郝思文が明るく社交性のあるキャラで、宣贊の言っていることを正しく周りに伝えてくれるといい、と思うわけです。 

 

 

昔しくじった経験から、妄想だけでキャラのパーソナリティを語らないように気をつけてはいるんですが(サウンドノベルのキャラは原作とは完全に別物)、郝思文については『水滸伝』を読んでいるだけでは性格がわからないので、この程度の補完は許されるだろう、との想定です。

……どうでしょう。やりすぎですかね。

その辺の線引きは、なかなかうまくできないでいます。

 

 

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