十数回目の『水滸伝』通し読み記録 009
金聖嘆が編纂した「七十回本」には、いくつか大きな特徴があります。
最大の特徴は、言わずもがな「百八星勢揃い以降の物語をなかったことにしたこと」。高島俊男先生が「腰折」と評するほどの思い切った改変で、今日でも賛否両論があり、議論はそう簡単には、収束しそうもありません。
ただ、自分が今回、百回本を通し読みするにあたり、折に触れ「七十回本は思い切ったことをしたなあ……」としみじみ感じ入ったのは、「物語の腰折」ではなく、もう一つの改変についてです。
それは「詩と美文を全削除したこと」。
「物語の腰折」の方には思うところが色々あり、手放しで称賛とはいかない自分も、「詩と美文全削除」は確かに改善であったと認めています。
百回本(新訳)の翻訳者である井波先生は、詩を翻訳されるにあたり、原文・書き下し文・現代語訳の三つを併記し、現代語訳のパートでは語呂と原文の雰囲気を重視して思いきりくだけた日本語を採用するなど、大変な工夫を凝らしていらっしゃいます。
その努力のほどを些かなりとも感じ取れた手前、こんなことを言うのはまことに申し訳ないんですが……
要らないんですよね、詩と美文。
この物語を講釈として聴くのであれば、詩と美文は、作中の情景を心の内にありありと描き出す上で、一定の役割を果たしたかもしれません。しかし、小説として読む上では邪魔でしかありません。
たとえばここに、「李忠が堂々たる偉丈夫で、優れた武芸を身に着けていること」を褒め讃える詩があるとするじゃないですか。
でも、物語に出てくる李忠はケチなオヤジで、むかし史進に教えた武芸も粗末なものじゃないですか。
なまじ絢爛豪華な詩が存在するばっかりに、登場人物の人となりを把握する上で、混乱が生じるわけです。
(多分、元から明にかけての物語の聴衆は、詩が出てくると、その内容は話半分に聞き流すように、訓練されていたんだと思います)
あと、人物の出で立ちを、兜のてっぺんからブーツの先、果ては馬の様子まで、つぶさに描写した美文も、各種取り揃えられていますが……
これらも、現代の読者にとっては、あってもどうしようもないものです。
村上春樹作品に出てくる人物の外見描写は、80年代に人気を博したブランドやファッションアイテムを知らなければ、何が書いてあるのかさっぱりわからないわけですが、それと同じことです。
金聖嘆は七十回本をつくるにあたり、これらの詩と美文をバッサリ消してしまいました。
この改変は、講釈から生まれた近世の小説『水滸伝』を、より近代に適応したコンテンツに生まれ変わらせる、大英断であった……
などと、百回本の詩と美文をせっせと読み飛ばしながら、心の内で拍手喝采を送っていたのでありました。
特にアレですね。一番喜んだと思われるのは、清代の本屋さんです。高価な紙や版木を、物語の展開上何の意味もない文字の羅列に費やさずにすんで、大助かりだったことでしょう。
(まあ、こんなことが言えるのは、百回本・百二十回本の訳者の先生方が、苦心して詩や美文を訳してくださったからなんですけどね。詩や美文に何が書いてあるかわかるから、「なるほど、要らないな」という判断が下せるわけで。
もし詩や美文の翻訳がなければ、ラテン語の聖書をそのまま聞かされていた中世ドイツの農民と同じで、「よくわからんが、多分有り難いんだろう」としか思えなかったと思います。というわけで訳者の先生方、ありがとうございます!)
ただ、詩や美文は、明代の「施耐庵」や「羅貫中」と名乗る人々が、好漢たちに思いを寄せて、語彙を選び、韻を踏んで、練り上げたものですよね。
その汗と涙の結晶を、「物語を追うのに邪魔だから」といって、完全に忘れ去ってしまっていいものか。物語に差し挟むのとはまた別の、使いみちはないだろうか。
というわけで少し、リユースの方法を考えてみました。
長くなってしまったので、今回は一旦ここで切ります。
さて、好漢たちに寄せられた詩や美文は、一体どんな形で、現代に蘇りうるのでありましょうか。
続きは次回の講釈にて。