十数回目の『水滸伝』通し読み記録 008
さて。
何年かぶりに(まっさら、とは言えませんが、まあそれなりに)新しい気持ちで原作をひもといてみますと、時折、「あれ?こんな展開だっけ?思ってたんと違う……」という気持ちになることがあります。
無意識のうちに、記憶を都合のよいように捻じ曲げて、捏造してしまっていたわけですね。
その最たるものが、索超の梁山泊入りでありまして。
索超の初登場は十回台の前半と、かなり早い方です。北京で軍人をやっていて、流されてきた楊志さんと武を競い合ったわけですね。
ですが、生辰綱を運ぶ楊志さんを追って、語り手の講釈師と聴衆が北京を離れると、その後、索超の消息は全くわからなくなります。再登場は実に六十回台、盧俊義を奪還しようと北京を襲う梁山泊軍の前に、マジおこ状態で立ちはだかるわけです。
索超は、短気なのが災いし、雪の積もった落とし穴にハマって捕われの身となります。
その後、「くっ殺」状態の彼に対し、既に梁山入りしている古馴染みの楊志さんが、「説得の言葉」か「歓迎の言葉」、どちらかをかけているはず、というのが自分の記憶だったのですが……
今回読み直してみると、そんなことはなかったぜ!
楊志さんは索超との再会に際して何も語らず、彼の仲間入りをボケっと見ているモブの一員でしか……いや、むしろその場にいなかった可能性が高いです。宋江と一緒に北京に来た頭領の中に名前がないので。
多分、この誤った記憶の根源はアレです。李志清版のマンガ。
基本的には原作をなぞりつつも、随所に丁寧な考察を差し挟んでいるあのマンガで読んだ展開を、そのまま原作のものと思い込んでしまっていたのでしょう。
人間の記憶とはつくづく、アテにならないものです。
記事を書くときも、記憶に頼りすぎず、極力原作を確認しながら進めるのがいいですね。
ところで、索超と言えばもう一つ気になることがあるんですが。
六十回台の彼の再登場の際、「あのときのあの人がまた出てきたよ」ということを示唆する表現が全くないんですね。まるで初めて登場したかのように紹介され、戦い、負傷し、突っ込んできて、捕われます。
これは…このくだりを書いた人物の、物語前半へのリスペクトが足りないんでしょうね。
あの名場面、楊志VS索超のエピソードを大事に思っている人が書いたなら、索超に一言くらい往時についての発言をさせていいはずだし、そもそも楊志さんを梁山に留守番させてないで、北京に連れてきているはずです。
まず、こういうところですよ、「水滸伝の後半は精彩を欠く」と言われるのは。蔡京の家から派遣されて招安を邪魔した張幹辨とか、楊雄の初登場時にからんできたゴロツキとか、誰も憶えてないようなチョイ役すら持ち出して『水滸後伝』に登場させてしまう陳忱先生のリスペクトぶりを、ちっとは見習ってほしいもんです(ぷんすこ)。