梁山から来ました

中華圏の小説、ポーランドボール、SCP財団、作曲、描画などが好き。皆様のお役に立てる/楽しんでいただけるコンテンツ作りを目指して、試行錯誤の日々です。

十数回目の『水滸伝』通し読み記録 004

今回の通し読みは、「日付」に注視しながら進めているので、今まであまり考えてこなかった『水滸伝』世界の時間の流れを、割とはっきり見通すことができます。

 

「武十回」というのは、概ね一年の間に起きた出来事なんです。

武松さんが嫂の態度に切れて武大の家を飛び出したのは雪の降る日。その後開封に行って帰って来たら、嫂は西門慶と出来上がり、兄は死んでしまっていました。その敵討ちは春の出来事で、流刑地に向けて旅をするうちに暑くなります。

快活林で大暴れをして、張都監の屋敷に呼ばれて過ごすうちに秋が訪れ、泥棒の濡れ衣を着せられたのは中秋節の宴の後。鴛鴦楼での大虐殺の後、張青のところで行者の装いとなり、孔家で宋江と再会し、別れ、……。

清風鎮へ向かった宋江は、そこで元宵節を迎えています。

 

にもかかわらず、です。

その後、花栄たちを連れて梁山泊に向かう途中で父の死のフェイクニュースを知って実家に帰った宋江が、県役所に連行され、刑罰が確定するにあたり、

「閻婆惜が死んで既に半年が経っており…」

という記述が見られます。

言うまでもなく、宋江による閻婆惜殺しは武松さんか虎と闘うより前の話ですから、これは完全に矛盾です。

 

井波先生の『中国の五大小説』の中にある

「一体どれだけの時間が流れたのか、さっぱりわからない」

という言葉は、こうしたディテールの曖昧さを指摘したものと思われます。

 

他にも色々腑に落ちないところはあって、

たとえば、王進と出会った時点で十八、九の若者だった史進のこと。

史進が少華山に落ち着いてから呼延灼戦までに何年もの時が流れたとすれば、その後に再登場する史進は、石秀と同じくらいの年になっていてもおかしくないんですが……

実際のところは、相変わらず考えなしなことをやらかして、阮小七と「梁山の末っ子」ポジションを争うキャラです。

少華山で過ごした史進の数年間はどこに消えたのか?水滸伝世界とは、大規模な時空間異常が起こる世界観だったのか……?

 

……いや、多分、当時の物語というものが、あまり「人間の成長」に重点を置いた構造になっていなかっただけなんでしょうけどね。

成長するキャラクターもいるにはいるんですが、その筆頭の公孫勝はと見れば、別人と首をすげ替えられたかのような、非現実的な成長ぶりですしね……。

 

「時間の流れ」と「成長」という二つの事象に、切っても切れない関係性を見出した、そんな午後でありました。