梁山から来ました

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水滸伝関連書籍bot ひとこと感想 063


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水滸伝』に限らず、中国の白話小説というのは一般に、物語の展開において最重要のポジションを占める人物が登場するのが遅い傾向にありますね。

西遊記』では、後に孫悟空の名を賜わる石ザルこそ早く登場するものの、三蔵がこの世に生まれ落ちるのは、ずっと後のこと。『封神演義』の太公望姜子牙も当初は出てきませんし、『水滸後伝』も物語が李俊のところに辿りつくまでかなり紆余曲折があります。

 

この傾向は後世の武俠小説にも受け継がれていて、『倚天屠龍記』は主人公・張無忌の両親が出会う前から物語を始めますし、『笑傲江湖』では主人公・令狐冲はどこにいるのやら、1巻半ばでやっと消息が知れたと思ったら、「もう死んでいる」と言われる有様です。(段々生き返って主人公らしくなります)。

 

藤崎竜先生は『封神演義』のマンガ化をするにあたり、主人公の登場が遅いのは少年マンガらしくないと考え、太公望を第1回から登場させたそうです。

実際、主人公が出てくるのが遅い話は、誰を中心に物語を追ったらいいのかわからないらしく、「最初、○○が主人公かと思った」と、初期に登場して活躍するキャラの名前を挙げられる方もしばしばです。

 

自分は個人的には、最重要人物の登場が遅いのも結構アリだと思う……というかむしろ好きなんですよね。

「小さい頃から慣れ親しんだ少年マンガのような展開だけが、物語の唯一の形ではない」と思うと、ワクワクします。

ただ、一般的にはこの感覚、あまり受け入れられないかもしれませんね。

 

いや……見せ方によっては、皆さんから「えっ、無理……」ではなく「むしろ斬新じゃあないか!面白い!!」というようなリアクションを、引き出すことも可能かもしれないですけどね。めっちゃ頑張れば。

 

いつか、そんな話を書けたらと思っています。



 

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