十数回目の『水滸伝』通し読み記録 010
さて、今回は、前回の「詩と美文不要論」の続きとなります。
前回の記事を未読の方、よろしければ下記リンク先も読んでみてくださいね!!
十数回目の『水滸伝』通し読み記録 009 - 梁山から来ました
さて、前回は、百回本と百二十回本の随所に散りばめられた詩や美文が、いかに現代の読者にとって用をなさないものであるかを、長々と論じたわけですが……
自分の考えは、飽くまで「展開上は何の意味もないのに、文中に突如出現して話の流れをぶった切る詩と美文が邪魔」というもので、
「詩と美文などこの世界から滅亡してしまえばいい」と思っているわけではありません。
詩と美文には、物語の中ではない場所で、まだ使い道があると考えています。
1つ目の可能性は、「グッズの模様として」です。
『水滸伝』愛読者の皆様におかれましては、百八星の中に一人くらいは、「ヒーロー」として心の中で讃えているキャラクターが、存在するのではないでしょうか。
日常生活においても常に身近に感じていたい、くじけそうになったときには彼の勇気ある言動を思い起こして自分を鼓舞していきたい、と、そう望むような……。
普段使いのキーホルダーやスマホケースにその好漢の御姿(漫画絵やドラマの役者の写真など)を刻むのは、周りの目も気になるし、ちょっと抵抗がある……というならば、
その好漢を讃える詩の一首を、グッズに刻んでしまえばいいのです。
(漢文を模様としてあしらったグッズは、台湾の故宮博物院などによく見られます。やりようによってはけっこうオサレだったりします)
確か、百八星には一人一首以上の詩が割り振られていたはず。人気のある好漢ならば、『水滸伝』の作中に複数の詩が存在することも珍しくないので、お好きな詩を選んで、グッズに仕立ててみてください。
きっと、その好漢が自分の生活を見守り、力を貸してくれるような気がして、毎日が明るくなると思います。
2つ目の可能性は……これは自分自身、いつかやってみたいと思っているんですが、「歌詞として」の使い方です。
まだ頭の中でざっくり考えてるだけの段階なんですが、例えばある好漢をテーマとして曲をつくった場合に、ボーカルパートの詞を日本語で作ると、どうやってもダサくなりそうな気がするんですね。
変に日本語で頑張るよりは、詩の文句を中国語ボカロに歌わせて、ぼんやり乗っけるくらいの方が、面白い曲になるんじゃないか、というのが現時点での予測です。
明代に成立した『水滸伝』の作中の詩には、著作権という概念がありませんからね(よしんばあったとしたって、作った方はかなり昔に亡くなっているので、権利はとっくに切れてます)。
音節の数も整っていてメロディに乗せやすいし、もう使いたい放題です。
……などと、自分は詩や美文の使い道について、上記2つの可能性に思い至ったわけですが。
皆様であれば、ご自身の興味ある分野に応じて、全く別の使い道に、気づかれることもあるでしょう。
いかがでしょう。
先人が、名場面の数々や各好漢のために作り上げた財産たる詩や美文を、物語の中以外の場所で、有効活用してはみませんか。