梁山から来ました

中華圏の小説、ポーランドボール、SCP財団、作曲、描画などが好き。皆様のお役に立てる/楽しんでいただけるコンテンツ作りを目指して、試行錯誤の日々です。

十数回目の『水滸伝』通し読み記録 001

さて。

先日より、十数回目になる『水滸伝』の通し読みをしています。

(実は、正確な回数はよくわからないんですよ。これまで吉川·清水訳の百回本を恐らく10回くらい、駒田訳の百二十回本を1回、通し読みしてきたので、初めて井波訳に挑戦する今回を「十数回目」と銘打っています)

 

ここまで来ると、もうどこで何が起きるかは大体憶えているのですが、それでも自分の今の立場や最近よく考えること、体調などによって、これまで特に気に留めなかったことが、妙にアタマに引っかかったりします。

折角なので、ブログにそれらのよしなしごとを書き留めておこうと思い立ちました。

 

主な目的は、何年か後に見返して「当時の自分、こんなこと気にしてらあ。ホントガキだなー」なんて笑い飛ばすことですが、世の『水滸伝』ファンの方々の目に留まり、深読みの題材を些かなりとも提供できれば、大変嬉しく思います。

 

 

さて、今回は、いきなり第20回くらいの話で恐縮ですが、閻婆惜関係の出来事の順番について。

 

突然ですが、百回本と百二十回本の最大の違いは?…言わずもがな、田虎と王慶の段の有無ですね。

では、二番目に大きな違いは?

それは、宋江と閻婆惜の出会いのくだりが、どの回に入っているかなのです。

 

百回本で第21回にあるこのエピソードを、百二十回本は第20回に持ってきています。これを「移置閻婆」と言います。

 

出来事の順番も違っていて、

百回本は、

晁蓋らが梁山泊に落ち着く→劉唐、宋江に会って手紙と金の延べ棒1本を渡す→王婆が宋江と閻婆を引き合わせる→宋江、閻婆惜を妾にもらう→婆惜が張文遠といい仲になる→閻婆が宋江を家に引っ張ってくる→宋江、婆惜の家に金と手紙の入った手提げ袋を忘れる

という流れで物語が進みますが、百二十回本は

晁蓋らが梁山泊に落ち着く→王婆が宋江と閻婆を引き合わせる→宋江、閻婆惜を妾にもらう→婆惜が張文遠といい仲になる→劉唐、宋江に会って手紙と金の延べ棒1本を渡す→閻婆が宋江を家に引っ張ってくる→宋江、婆惜の家に金と手紙の入った手提げ袋を忘れる

となっています。

 

この点に関して言えば、百二十回本は確かに物語に「改善」を施していると思います。

百回本の流れですと、金の延べ棒と晁蓋からの手紙は、宋江が閻婆の棺桶を世話してやって婆惜を妾にもらい、最初こそ通っていたものの段々足が遠のき、同僚の張文遠が婆惜のところに出入りするようになるまで、ずっと宋江のあのポシェットの中に入りっぱなしです。

頭痛薬とかティッシュとかならいざしらず、そんな危険なブツを何十日もカバンに入れっぱとは…。もはや、危機管理以前の問題ですよね。

 

そんなわけで(今回読んでる井波訳は百回本なので)、このあたりを読んでる間じゅう、宋江のポシェットが気になって気になって、仕方ありませんでした……。

 

皆様も今度お読みになるときは、この「移置閻婆」、ぜひちょっと気にしてみてください。