梁山から来ました

中華圏の小説、ポーランドボール、SCP財団、作曲、描画などが好き。皆様のお役に立てる/楽しんでいただけるコンテンツ作りを目指して、試行錯誤の日々です。

新企画「水滸キャラのココがスキ」について


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さて、先日予告した新企画についてです。

その名も、「#水滸キャラのココがスキ」!!

 

参加方法は簡単!皆様が普段つぶやかれている、『水滸伝』の登場人物や作品そのものについてのツイートに、このタグを添えていただくだけです。

タグをつけていただいたツイートを、定期的にtogetterでまとめます。

(対象は公開アカウントからのツイートのみ)

 

「好きな好漢の魅力をもっと知ってもらいたい」

「最近気づいた地味なキャラの魅力を伝えたい」

「たくさんの人と『水滸伝』の話をしたい」

という皆様、ぜひこのタグをご活用いただければ幸いです。

 

まとめの対象には、派生作品(小説、マンガ、ドラマ、ゲームetc)や、公式に基づかない設定(カップリング等)についてのツイートも含みます。

とにかく、少しでも『水滸伝』に関係あることが書いてあると思われれば、全てまとめてしまいますので、

「あんまり大勢の目に触れるのは恥ずかしい」という場合は、タグを微妙に変化させていただくことを推奨します。

(カタカナ部分を一箇所、平仮名や漢字に変えるだけで、別のタグになります)

 

 

このハッシュタグは、「水滸好きさんに質問」で、「好漢の好きなところ、いいところ」シリーズを7人分しかできず、「他の好漢についても何らかの形でこれを訊きたい」と考えていて思いついたものです。

期限を区切り、質問の回答として出していただこうとするから難しいのであって、普段、ふと思いついたときに、普通のツイートとして出力される言葉の一部をご提供いただければ、きっとより豊かな可能性の世界が広がっていくだろう、と考えました。

 

ゆえに、開催期間は特に設けていません。

水滸伝関連書籍bot及びその中の人以外に、このタグをつけてつぶやかれる方が一人もいなくなった月が、まとめを作成する最後の月です(7月は半端なところから始まってしまったのでノーカンで、8月以降で)。

まとめが作成されなくなっても、タグ自体はお使いいただいて大丈夫です。

 

 

引用RT、ドラマのスクリーンショットやマンガの1コマの写真を添えて、動画のリンクを添えて、ご自身の活動報告とともに……など、楽しみ方は無限大!

皆様の日々のtwitterライフで、ふとした拍子に思い出して使っていただける、そんな存在になれれば光栄至極です。

 

企画「水滸好きさんに質問」これにて完了!!

 

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企画「水滸好きさんに質問」は、第20回の終了をもちまして、完了とさせていただきます。

これまで回答くださった方、募集記事や回答に「いいね」・RTをお寄せくださった方、まとめをご覧くださった方……、全ての好漢の皆様に感謝です。

 

本当は1年続けるつもりだったので、実質は「打ち切り」ということになりますが、あまりたくさんの皆様にご支持いただけなかったので、仕方のないことですね。

この企画に費やす時間と労力は、別のところに傾けるべきだと判断しました。

 

 

この企画の終了後も、当「水滸伝関連書籍bot」は、普通のbotには戻りません。

今後も、日本における『水滸伝』の普及、水滸クラスタの拡大に貢献できるようなコンテンツづくりを考え、実施していきたいと思っています。

 

ただ、フォロワーの皆様にこれほど多大なご協力をいただかなければ成り立たないような企画は、今後は実施しません。

 代わりに考えているのは、皆様が通常、ご自分のアカウントでごく普通にされているツイート、それに1つタグを添えるだけで参加できる企画です。

Twitterの仕様では、よく使用するタグは、2、3文字打ち始めると候補に挙がってきます。つまり、何度かご参加いただいたら、あとは数文字余計に打つだけでOKな制度設計。

もう、わざわざ回答を考えるお手間はおかけしません!

 

 

 

新しい企画の詳細は、今週木曜日には整えて、発表できるようにいたします。

ぜひたくさんの皆様にご参加いただきたい……ところですが、ご無理をお願いするのも申し訳ないので、気が向いたときにちょっと存在を思い出してお気軽にご参加いただける、そんな企画を目指していきたいと思います。

 

『水滸好きさんに質問』最後のまとめがこちら↓

[https://togetter.com/li/1563049

:embed]

全てがあっという間に変化し、過去のものになってしまうこのご時世に、最後までお見捨てなくお付き合いくださった皆様、誠にありがとうございました。

 

新しい企画の詳細発表は今週木曜日です。どうか、チャンネルはそのままに。

今後とも「水滸伝関連書籍bot」を、何卒よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

劉慈欣著『三体』 ネタバレ全開の感想いろいろ②


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一度書いた原稿が消えてしまったので、更新が遅くなりましたが、ともあれ、『三体』感想の第2回です。

 

第1回はこちら

 

気を取り直して、今回も全力投球でまいります。ネタバレ全開のため、未読の方はご注意ください。

 

 

★紅岸基地の本当の目的

葉文潔は雷政治委員と楊チーフから、紅岸基地は実は宇宙にメッセージを送る目的のものだと聞かされます。

その前段階で雷政治委員が語ったフェイクストーリー、「資本主義国家の人工衛星マイクロ波を照射して破壊する」というのも、これはこれで面白い構想ですよね。別の小説のタネになりそうです。

紅岸プロジェクトの関連文書のくだりは、SCP財団の報告書を読んでいるような気分になりました。体裁もさることながら、その内容の荒唐無稽さに対しても、ですね。

それにしても、宇宙に対してもすら共産主義プロパガンダを流そうとする手合いがいるとは……。今となっては笑い話ですが、当時は大真面目にそんな構想をする人々がいたとしても、不思議はありません。

紅岸プロジェクトは年を経るごとに縮小されていったと言いますが、これはありがちなことです。宇宙への信号送信の結果は数年、数十年という単位ではわかりづらいので、短期的には費用対効果が見込めないんですね。特に宇宙を相手にするプロジェクトは予算を食うので、政治が大きく変動している時期にあっては、真っ先に規模縮小のやり玉に挙げられてしまいます。

ここで、雷政治委員と楊チーフがこの時期に「事故で」亡くなったことが、サラリと書かれています。あまりにもあっさりした記述なので、三度見してしまいました。後に、隠されていた真実が明らかになったときには「やはり」という感じでしたよね。

 

コペルニクスと三つの太陽

汪淼は「三体」ゲームの中でコペルニクスを名乗り、教皇ガリレオ(に相当する人物)の前で、この世界の構造を解き明かします。

この小説は初めから終わりまで驚きの連続でしたが、敢えて一番びっくりした箇所を挙げるとすれば、このエピソードです。読者の条件は汪淼と同じで、ヒントはこれまでの「三体」ゲームの中で与えられていたので、よくよく考えれば、この結論にたどりつけたかもしれません。しかし少なくとも自分は、これほど大胆な発想には思い至りませんでした。

汪淼の説明によって、これまで頭の中でバラバラに存在していた「三体」世界の謎たちが一つのシステムへと収束していくのは、圧巻としか言いようがありませんでした。まさに、史実のコペルニクスが地動説に思い至ったときには、これと同じような驚きをもって、惑星たちの動きの謎がその体系に収束していく様子を、観測したことでしょう。

さらに、「これまで、三太陽の日は記録に残らなかった。なぜならその現象に出会った文明は、一瞬にして滅びてしまうから」という言葉が強烈なインパクトを添えています。彼らの文明はその言葉どおり、三太陽の出現によって滅びます。世界の謎を解くことは、新たな絶望に直面することでもあったのでした。

 

★魏成の話

汪淼と史強は申玉菲の夫・魏成の話を聞きます。彼は想像を絶するほどの億劫がりということで、自分などは一瞬、妙な親近感を感じかけたのですが、よく考えると自分には彼のように一方向に特化した特別な才能なんか全然ないのでした。どうもすいません。

このエピソードでは、魏成が一時身を寄せていた寺の住職が、ストーリー上重要というわけでもないのに、妙に印象に残っています。申玉菲の「仏さま、どうかわが主を苦海から逃れさせてください」という祈りを聞いた魏成がその意味を住職に尋ねたとき、住職は一晩考えた上で出した結論を魏成に伝えます。その姿勢には、誠実さが感じ取れます。

改革開放以降の大陸における仏教の位置づけについては全く知識がないのですが、このエピソードを見る限り、僧侶は今も有識者、有徳の人として、人々に敬われているようです。

ところで、申玉菲の死体が見つかった後、魏成は「申玉菲と潘寒はいつも会話の内容が自分にわからないよう日本語で話していた」と言っていますが……器用な真似をしますねー、この二人は。英語だと、魏成も理解できてしまうかもしれませんからね。申玉菲は日系なので話せても不思議はないですが、潘寒がそんな込み入った話をできるほど、日本語に熟達しているのは意外でした。どこで学んだんでしょう。

 

ノイマン始皇帝の人力コンピュータ

汪淼は「三体」のゲームの中で、ノイマン(に相当する人物)とニュートン(に相当する人物)に出会います。彼らは三つの太陽の動きを予測するため、始皇帝(に相当する人物)に謁見し、巨大な軍隊の力を借りて、人力コンピュータを構築することに成功しました。

三千万の生命体が形成する演算機構というのは、地球人の我々からは突飛な発想に見えますよね。しかし「三体」の生命体にとっては、充分に現実的なものでした。彼らは長期にわたって延々と単純な動作を繰り返すことが可能で、ヒューマンエラーや生理的欲求に由来する作業中断のリスクは、無視できるほどに小さいことがわかります。我々とはよほどかけ離れた様相の生命体のようです。

しかしそれでもヒューマンエラーは起き、始皇帝はそれを起こした部隊をまるまる葬り去ってしまいます。焚書坑儒という言葉も出てきていますし、この世界の始皇帝もまた、地球における史実の始皇帝同様、厳しい法家思想の実践者ということでしょう。

人力コンピュータは一年二ヶ月という長大な時間をかけ、恒紀の到来を予測します。しかし訪れたのは恒紀ではなく、三太陽直列という未曾有の現象でした。失敗を悟ったニュートンは、都合のいいことを言って逃げ出します(この口上も実に鮮やかです)。しかし、たとえ始皇帝から逃れおおせたとしても、三太陽直列による引力からは逃れられません。やはり、この文明のあらゆる人々と同じように、宇宙へと放り出されてしまったことでしょう。

 

★オフ会

汪淼はゲーム「三体」のオフ会に参加し、主催者として現れた潘寒から、三体世界が実在することを知らされます。三体人による地球侵略の是非を問われたとき、老哲学者、作家、ジャーナリストの若者、大学院生が肯定的で、IT企業の副社長と国営電力会社の役員が否定的だったのは印象深い対比です。前者は夢を追い、後者は現実を見据える人々だと考えられます。いい意味でも、悪い意味でも。そしてオンラインゲームの高得点マーカーの中で、前者が多数派を占めるのも、ありそうなことです。

 

★三体人、宇宙へ

汪淼はゲーム「三体」のなかで、三体人たちが恒星の動きを予測することをあきらめ、生存の可能性を宇宙に求めて旅立ったことを追体験します。彼は魏成から預かった三体問題解決のためのアルゴリズム国連事務総長(外見上のモデルはアナン事務総長でしょうか)に渡しますが、見事にスルーされてしまいました。あとから考えると、このゲームは降臨派の潘寒らが作ったものなので、三体問題の解決こそが害悪であり、その可能性を生み出すものは、葬り去られてしまう仕様なのでしょう。

 

★地球三体協会の集会

汪淼は地球三体協会の集会に出席し、葉文潔が協会の総帥であったことを知ります。この会合の中では、協会の中心人物であった潘寒が、一転して裏切り者扱いされ、葉文潔を護っていた少女に殺されてしまいます。

中華圏の小説には、よくこうした話し合いのシーンが出てきて、その場の力関係や些細な出来事から空気が一変し、それまで正しいと思われていたことが、集団全体から一瞬にして否定されてしまう展開となります。おそらくこれは実際に、主に文革期に、幾度となく繰り返された光景なのでしょう。自分は個人的に、こうしたシーンに非常に興味をひかれます。これを見るためにこそ、中国の小説を読んでいるようなところがあったりします。

ところで、素手でサクッと潘寒を殺したこの少女、印象深いキャラをしていますが、やはりかつての紅衛兵と同様、自分が何をやっているのかよくわからないままに、その情熱と正義感を利用されていたということなのでしょうか?

 

★太陽への電磁波照射の提案とその否定

葉文潔は過去の紅岸基地で起こったことを語ります。彼女は太陽が電磁波の増幅装置として機能することを発見し、外宇宙へのメッセージを太陽に向けて照射しようと提案しますが、雷政治委員はこの提案を拒否します。この時代を生き抜くためには、少しでも政治的に批判されそうな要素のある試みは、できる限り事前に察知し、芽を摘んでおくことが必要なのでした。

しかし葉文潔は諦めきれず、彼らの目をかいくぐって電磁波を太陽に照射します。結果、何も起こらなかったと思った彼女は、楊チーフに「夢を見ていた」と言って、ようやくその情熱を捨てます。

葉文潔はその後の日々を穏やかに過ごし、やがて楊チーフと世帯を持ちます。しかし宇宙に関する実験の結果がわかるまでには、長大な時間を要することがあります。この場合もそう。本当の結果が出るまでには8年かかりました。それでも、彼らが取り組んでいたプロジェクトの時間的スケールからすれば、「偶然隣の星系に知的生命体がいたために、最短のスパンで結果が出た」ということになるわけですね。人の世の政治の移り変わりとは、全く違う時間の流れです。

 

 

 

感想の続きは次回に。

『三体』の感想記事は次で最後の予定です。

 

企画「武俠好きさんに質問」グランドフィナーレ!


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企画「武俠好きさんに質問」は、第27回の終了をもちまして、完了とさせていただきます。

これまで回答くださった方、募集記事や回答に「いいね」・RTをお寄せくださった方、まとめをご覧くださった方……、全ての江湖の仲間たちに感謝です。

1年間、本当にありがとうございました。

 

 

これをもちまして、当「金庸 セリフ&会話bot」は普通のbotに戻ります。

 

……嘘です。戻りません。

 

今後も何らかの形で、日本における武俠小説の普及、武俠クラスタの拡大に貢献できるようなコンテンツづくりを考え、実施していきたいと思っています。

ただ、フォロワーの皆様にこれほど多大なご協力をいただかなければ成り立たないような企画の実施は、今後は考えていません。

次にご協力をいただくときには、1クリック、2クリックで参加いただける、ごく簡単な内容にしたいと考えています。

 

「武俠好きさんに質問」のシステムは「参加しづらい」との批判をいただいていましたが、今後、欠点を改善した上で、類似の企画を立ち上げられる方がいらっしゃいましたら、心より応援させていただきます。

何か、当botが本企画の開催の中で培ってきたノウハウがお役に立ちそうなことがありましたら、リプライをいただければ幸いです。

 

最後のまとめがこちら↓

流行り廃りが激しいこのご時世に、最後までお見捨てなくお付き合いくださった皆様、誠にありがとうございました!

皆様の今後の武俠ライフに、幸多からんことを。

 

 

 

 

劉慈欣著『三体』 ネタバレ全開の感想いろいろ①


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密かに気になりつつ、ヘヴィーそうでなかなか手がでなかった、噂の中国産SF『三体』を、このたび読み終わりました。
読んでよかった!ぜひ多くの方にお手にとっていただきたい!……というのがまず最初の感想ですね。
SFを全く知らない方でも、中国の文化に興味があれば……逆に、中国の文化を全く知らない方でも、SFに興味があれば、きっと楽しめるはずだし、新しい世界への扉を開くきっかけにもなってくれる本だと思います。
難しい言葉は色々出て来るけど、わかってなくても何とかなる(現に自分がそうだった)から……!分量もみんなが思ってるほど多くない(はずだ)から……!
悪いことは言いません、もし1ミリでも興味があれば、今すぐDLして開いてみてください。

 

……というわけで、下記はネタバレ全開の感想となります。
本当に容赦しませんので、まだ読了されてない方は、ここでバックを推奨します。

 



……よろしいでしょうか。では始めます。

 

文化大革命 

この作品、SFではありますが、はじめの章は文革の描写から始まっていますね。主人公の一人(とも捉えることができる)葉文潔の前半生は非常に苛酷なものだったことがわかり、そしてその経験は後年、彼女が別の星からのメッセージを受けたときに迷わず選んだ決断へと繋がります。

普通の人なら躊躇うはずの決断を、彼女はいとも簡単にしてのけた。それを「無理もない」と思わせるだけの辛い経験を、彼女はその前半生でしてきているわけです。そして、当時の中国において、彼女のような経験をした人は決して珍しくはなかった、という文章がさりげなく差し挿まれていて、胸を打ちます。

★史強

舞台は四十数年後、ナノテクを専門にする科学者の汪淼のもとへと飛びます。彼のもとへ軍人と警官がやってきて、捜査への協力を要請します。

汪淼は警官の史強に対し、はじめ好感が持てなかった、とあります。これは、裏返せば「後々好感が湧いてくる」という意味になりますね。史強はいかにもガサツなヘビースモーカーで、汪淼に対しても概ねいつも喧嘩腰。しかし有能であることには間違いはなく、複数回にわたって強烈な事件に見舞われ、打ちひしがれる汪淼を、強い言葉で精神的に支えます。

いいキャラしてますよね。日本の刑事モノにもよくありそうな造形です。個人的には攻殻のバトーさんの声でしゃべってほしいです。

★楊冬

「物理学は存在しない」との衝撃的な遺書を残して自殺してしまった科学者の楊冬。後に葉文潔の娘であることが明かされる人物ですが、汪淼が彼女に惹かれていたことを表す一節が非常に印象的です。自分が撮る写真に欠けていたのは彼女だった、という。これだけで、汪淼にとって、言葉を交わしたこともない楊冬がどれだけ大きな存在だったのかがわかります。

 

★射撃主と農場主

我々(というか科学者たち)が物理学の法則だと思っているものは、実は大いなる存在が別の目的で引き起こした事象に由来するもので、法則でもなんでもないのかもしれない。ゾッとするような話ですが、我々が経験論に基づいて科学を築いていかなければならない以上、その可能性を全面的には排除できない、ということでしょうね。

自分はSFに造詣が深くないので、こういう話が出てくるたびに、未知の領域を覗き込むような、新鮮な気持ちになりました。

 

★カウントダウン

自分の撮った写真にだけ現れ、そのうちには網膜にまで映るようになるカウントダウン。これは怖いですね。そんな現象にぶち当たって取り乱しつつも、現象が起こる条件を特定しようと、同じカメラで妻子に撮影させたり、別のカメラで撮ってみたりする汪淼は、やはり根っからの科学者なのだろうと思います。

 

VR全身スーツ

ゲーム内の感覚刺激をプレイヤーに伝えるという全身スーツが、しれっと登場してきます。目と耳を覆うタイプのVRは知っていますが、全身スーツなんてものが普通に実用化されてるんでしょうかね?一度体験してみたいとも思いますが、感覚刺激だけで廃人に追いやられる可能性もありそうで、ちょっと怖いですね。

 

★潘寒の「中華田園」

食べ物含め、必要なものすべてを都会のゴミから調達するという実験コミュニティ、「中華田園」。中国でそれをやるんですか?イメージですが、めっちゃ病気になりそうなんですが。

 

★ゲーム「三体」の世界

恒紀と乱紀に支配される苛酷な「三体」の世界。これは割と、中国的な発想だと思います。

中国の古い思想では、「天変地異が起こるのはその王朝の統治が悪いから」ということになっていて、歴代の王朝は、黄河の氾濫やイナゴの大発生という自然界の異常から、彗星の出現といった天文学上の現象、果ては「くだん」的なものが産まれるなんていうオカルト現象まで、ありとあらゆることに責任を持たされて来たんですね。紂王サマがピラミッドの中で長い恒紀の到来を待って番をし、「乱紀を支配あるいは予測する方法がわかった」と進言する者たちに耳を傾けるのも、為政者としての役割を果たしてのことだと思います。

そう言えば、「十個の太陽が同時に登った」なんていう神話も、中国にはありましたね。三体どころか、十体問題ですね。弓で射落とすくらいで解決する話なら、いいんですけどね……。

周の文王、紂王、伏羲、孔子墨子といった人々は、実際の「三体」世界の歴史において彼らと似た役割を果たした人物を地球人になぞらえたものでしょう。太陽を眠らせる、陰と陽で説明づける、礼によって太陽の運行を予測する、自ら考案した宇宙モデルを用いる等々、この世界の正体がわからないながらも、それぞれに解決を図った彼らの努力の痕跡が見てとれます。

しかも、後から考えれば(ニュートンノイマンの演算も含めてですが)彼らの予測は、外れた場合にも、完全にメチャクチャな外し方はしていないんですね。天体は彼らが予測した時間・位置に(誤差はあれど)現れていて、ただ惑星との距離感が違っているだけ、という場合が多い気がします。

しかしそれでも深刻な問題が発現し、文明は滅びます。存続か滅亡か、という二択しかない場合には「全てが間違ってはいるわけではなかった」という言葉は(少なくともその文明にとっては)何の意味もないのです。彼らは敗北者です。厳しい世界です。

 

★引退後の葉文潔

第一章の終幕以来、長らく登場していなかった葉文潔が、亡くなった楊冬の母親として汪淼の前に現れます。思ったより元気そうでホッとしますが、「生きて紅岸基地を出ることはできない」と言われた彼女に何があったのかは気になりますよね。あと、楊冬の父親が不在の理由も。

それにしても、どういうわけだか、葉文潔女史が台湾の蔡総統のビジュアルで脳内再生されるんですが、これは自分だけでしょうか。


★宇宙のまたたき

これは……すみません、よくわかりませんでした。観測センターの沙瑞山が、汪淼の的外れな発言に生温かい微笑みを浮かべるシーンがありますが、汪淼の的外れが数十センチレベルなら、自分の頭の中で起きていることの的外れは数キロレベルと思われます。沙瑞山は顎がはずれて、微笑みを浮かべるどころじゃなくなりそうですね。

理解できたのはまあ、「宇宙が申玉菲の予言どおりの時刻にまたたいて、それが絶対にありえないはずの現象だった」くらいのことですね……。専門的なことがわからないながらも、何となく雰囲気で読み進めることができたのは、作者の劉先生の技量だと思います。

 

 

 

……すみません、思いのほか長くなったので、次の記事に続きます。
例の星系の恒星と同じ(?)、3つくらいの記事にまとめられたらと思っています。

 

 

「水滸好きさんに質問」第13回への回答

 

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タグに集まるツイートの大部分が主催者のものというのはさすがによろしくないので、以降、考えた「あるあるネタ」をこの記事に書き溜め、今週日曜まで随時更新していこうと思います。

5/31が終わった時点でのこの記事の状態が、現時点での自分の、この問いへの回答ということになりますね。

 

中には以前、このブログで語ったものもありますが、ここらで一度、まとめてみるのもアリかなと。

 

また、皆様が考えられたご回答が、この記事内の「あるある」とカブってしまうこともあるかもしれませんが、お気になさらず、ガンガンつぶやいていっていただければ幸いです。よく言われることだから「あるある」なのであって、先に言った方がどうとかはないはずなので。

それでは、参ります。

 

 

・盛り上がったところで話を終えたいばかりに、回の最後で意味もなく事件を起こしがち。

 

・「くどい話はぬきにして」で端折られる話の「くどさ基準」、よくわからない。 

 

・好漢が歳をとる気配がない。史進が三十数歳のアホの子と化す。

 

・武芸を嗜まない美女は、大概性根がろくでもない。

 

・とにかく大きい金額を言いたいときには「三千貫」を連発する(※ざっくり現代の三千万円に相当)。

 

・どこからともなく無尽蔵に湧いてくる銀子。どんなペースで朝廷や大富豪が組織する隊商を襲撃していたのか気になる。

 

・朝廷側にいる人物はすぐに寝返るけど、一度梁山泊に入った人物は絶対に裏切らない。そして宋江たちは「仲間の好漢が裏切るのでは」という懸念を全く持たない。

 

・講釈師の視界に入ってない場所で大きな事件は起きない。宋江の旅物語や祝家荘の話をやってるときに二竜山や少華山で事件は起きない。

 

梁山泊に趙姓の好漢はいない。朱姓の好漢は4人いるが、概ね常識人。(宋と明の皇帝の名字だから、というのが関係していそうです)

 

・モブ兵士や好漢の家族の存在感が希薄すぎて、梁山泊には人間が108人しか存在していないかのようだ。

 

・危ない目に遭わずに大河を渡れる確率が低すぎる。

 

・囚人が人里離れた居酒屋に入って無事に出てこられる確率が低すぎる。

 

・元宵節の夜を無事に越せる確率が低すぎる。

 

・席次に納得いかないことが多い。多分解兄弟よりも孫立のが強い、扈三娘の59位は王英のせい、杜遷かわいそう、李雲が朱富より格下はおかしい、等。

 

・阮小五は、上と下に比べて個性に乏しいせいか「母のかんざし」ネタを引っぱられすぎ。もう許してあげよう(と言っている自分からして今後も引っぱる気満々である)。

 

・鄧飛の人肉食いはスルーされがち。

 

・登場時には強烈な個性を見せつけるのに、仲間になると集団に埋没してしまう好漢たち。敵として出てきたときには強いのに、仲間になると弱くなるゲームのキャラと同じ(違うか)。

 

・燕青がおいしいところをかっさらっていく。他の好漢に出番を譲ろうという気づかいはあまりない。

 

・(精神的に)成長しない皇帝と、反省しない奸臣たち。どんな不祥事があろうと蔡京や高俅たちが更迭されることはない。もうやだこの国。

 

・しびれ薬の正体、よくわからない(放置すると死に至ることもある劇毒なのか、単にものすごくアルコール濃度が高い酒という可能性も)。そしてしびれ薬の解毒に使われる薬の正体はもっとよくわからない。

 

・翻訳が古いと日本語の意味がよくわからないことがある。ずくにゅう……?

 

・翻訳が古いとキャラの言葉づかいがたまにかわいい。特に岩波(吉川・清水訳)と鳥居訳後伝。

 

・リメイクでは朱仝と雷横が存在ごと消されがち。

 

・リメイクでは戴宗の初登場時の態度の悪さがなかったことにされがち。

 

・リメイクでは宋江梁山泊入りするまでは割としっかりやるけどその後はエピソードごとガンガン削りがち。そして七十回以降はやらない。

 

・リメイクは李逵の性格に凝りがち(現代の日本人にも理解できる行動原理にしようと頑張っている)。

 

・リメイクでは宋江が美白している(物理ではなく精神的に)。

 

・原作中に幼な名が書いていないために、リメイクで好き勝手に名付けられ公然と呼ばれまくる林冲の妻。

 

・漫画版はなぜか途中で李忠の顔が変わっていることが多い。

 

・ドラマの王英の再現率が高すぎて「これ以上王英っぽい人はそうそう存在しないだろう」と思うのに、新しいドラマが出ると同じくらい再現率の高い別の王英が出演していて、中国は広いんだなと思う。

 

ジャイアントロボOVAを観ているときに、九大天王の名前リストが出たところで呆然としてしまい、慌てて巻き戻して一時停止する水滸クラスタ

 

ジャイアントロボOVAで「エンシャク殿」という呼び方を耳にするたびツッコミたくなる水滸クラスタ

 

・「敦盛」を「郭盛」と空目する水滸クラスタ

 

・「泰明」を「秦明」と空目する水滸クラスタ

 

・2人1組で出てくる好漢が多いからといって、108人を2人ずつ54組のペアにしようとすると詰む(トランプを作った人たちは、相当頭を悩ませています)。

 

梁山泊は、各時代の政治状況や社会で共有されている倫理観によって、「悪者」にされたり「いい者」にされたり忙しい。

 

・「こんな時代だからこそ、彼らのようなヒーローが必要だ!」と言うが、では「こんな時代」ではなかった時代とはいつのことか、考えてみてもよくわからない。

 

 

「水滸好きさんに質問」第11回への回答


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さて。

行ってみたい場所として「梁山とその周辺」「開封」「景陽岡」を挙げたところですが、自分がそれらの場所を訪問できる日は、いつになるやらわかりません。

と言うのも、私事なのですが、環境に対する強いアレルギーがあって、以前大陸中国に2泊3日で滞在したときに身体をボロボロにしてしまい、完全回復までに2年ほどかかっているんですね。

今度大陸を旅行するとしたら、飲食物は全て日本から持ち込みで、現地の水でシャワーなど浴びない覚悟で臨まなければなりませんが……そんな贅沢旅行、おいそれとできるわけもなく……。

中国にある水滸ファンあこがれの地は、自分にとっては最期まで、脳内にしか存在しえない場所なのかもしれません。

 

 

さて、そんなことはともかく、です。

この記事では、日本国内にある、多少なりとも『水滸伝』に関連していると言えそうな場所をご紹介したいと思います。

 

大垣城岐阜県大垣市

ここには「片鎌槍」という武器が収蔵され、一般客の観覧に供されています。要するに、「鉤鎌鎗」の現物が拝めると思っていただければ。

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突く合間にちょっと引っ掛けてみることもできる鉤鎌鎗は、かなり汎用性が高いツールと言えます。『水滸伝』作中で、「その使い方が伝わるのは徐寧の一族のみ」の伝説の武器となっていたのは、実に勿体ない話なんですよね。

持ち運ぶときにうっかり変なところに引っかからないよう、注意する必要はありますが。

 

大垣市は生活空間に密接して水が存在する場所で、ちょっと大雨が降るとすぐに氾濫してしまう河川との付き合い方を、何世紀にもわたり模索してきた歴史があります。そんなところも、梁山泊付近の集落、たとえば石碣村なんかとよく似ているでしょう。

城を観終わった後は、北宋当時の梁山泊周辺の暮らしに思いを馳せながら、市内を散策してみるのもいいと思います。

 

 

 

青森駅周辺(特に7月中下旬〜8月7日。ただし2020年を除く)

要するに、ねぶた祭の準備が佳境に入ってきた頃から祭りの当日までの、青森駅周辺です。

意外に知られていないことですが、ねぶたの題材には、日本の神話や歌舞伎などだけでなく、中国の昔の話もかなり採用されています。

大型ねぶた紹介 - 青森ねぶた祭

水滸伝』関連の大型ねぶたが参戦する年も多く、そのなかから大賞が出ることも。

祭の当日である8月2〜7日に行けば、それらの大型ねぶたが電飾を施されて市中を練り歩く様子を見ることができますし、7月中下旬に行くと、青森市在住の皆さんがねぶたを仕上げている様子を見せていただくことができます。

 

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制作中の「水滸伝 洪信、百八の魔王を放つ」(2011年作品)

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制作中の「水滸伝 入雲龍・魔風を起こす」(2011年作品)

 

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2011年当時「ねぶたの家 ワ・ラッセ」に保管されていた
水滸伝 混江竜 李俊」(2010年作品)

 

また、祭が近くなると、市内を移動する大型ねぶただけではなく、小規模なねぶたが人通りの多い場所に設置されます。商店街や観光センター等を歩いていると、いきなり柳を抜く魯智深や虎と闘う武松さんが現れたりします。そうしたサプライズも、楽しみのひとつです。

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アスパム(観光センター的なビル)の中にいた武松さんと虎
(虎出現の時点で行者姿なのは……えーと……多分、フォトジェニックのためです!そういうことにしておきましょう!)

 

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土産として売られていた張順の下絵

 

 

ただ、2020年に関しては、ねぶた祭の中止が既に決定されているんですよね。今年の夏には、水滸の好漢たちの姿が青森の街を飾ることがないと思うと、残念です。

水滸ファンとしてだけではなく、青森市民がみんなで創り上げるねぶた祭を応援する一個人としても、来年以降の祭が無事開催されることを、心より願っています。