梁山から来ました

中華圏の小説、ポーランドボール、SCP財団、作曲、描画などが好き。皆様のお役に立てる/楽しんでいただけるコンテンツ作りを目指して、試行錯誤の日々です。

「水滸好きさんに質問」第9回への回答


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実質、初めて読んだ『水滸伝』は、横光版だったので(厳密には違うんですが、まあ最初のは水滸にカウントできるか微妙なので……)横光版の中のシーンということになります。

まず横光で好きになっていなければ、原作に進んでいないはずです。

 

で、横光の中のどのシーンかといいますと……

多分、次のようなシーンを読むたびに、段階的に少しずつ好きになっていったのだと思います。

・洪太尉が龍虎山で牧童に出会い、後に牧童こそが張天師だったとわかる

・王進先生と史進が出会う

史進と少華山の頭領たちが仲良くなる

・魯達が肉屋の鄭を殴る

魯智深、五台山での大暴れ

魯智深史進と協力して崔道成らを倒す

・王倫、林冲に投名状を要求→楊志との決闘

楊志、刀を売る

・七星、義に集まる

・智取生辰綱

横光版の「智取生辰綱」を読んだところで、『水滸伝』はこれから残りの生涯をかけて読み込んでいくべき作品なのだろうと思った気がします。

だから、

「横光版の最初の洪太尉のエピソードの時点でもう既に割と好きで、智取生辰綱の時点でその『好き』が確立された」

ということになるのだと思います。

 

その後、原作(岩波の吉川・清水訳)を読むことでより深く沼に沈んでいくわけですが、

そこで「本来、生辰綱運搬グループの隊長はポッと出のモブではなく楊志さんだった」と知って、原作の智取生辰綱のエピソードが横光版以上に好きになりました。

横光先生も、尺の関係や、「少年向けである以上は正義の味方と悪者をはっきり分けたい」というお考えがあって、隊長を別の人物に替えたのだろうとは思うんですが……

話を深くするためには、あそこの隊長はやはり、楊志さんの方がいいと思うんですよ。一度は政府の犬として晁蓋らと敵対した楊志さんが、歳月を経て晁蓋らの味方になる、そこが面白いところです。

 

……とはいえ、横光版の智取生辰綱は、黄泥崗でのやりとりをかなり忠実に再現しており、また愛嬌のあるキャラクターのユーモラスな動きは、他には替えがたい魅力を放っています。

今読んでも全く飽きの来ない、稀代の名シーンです。

 

 

「水滸好きさんに質問」第8回への回答


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面白いと思う人物は、例によってたくさんあるわけですが……

気分で一人だけ挙げます。

水滸伝』の視点人物、いわゆる「講釈師」ちゃんです。

 

水滸物語は南宋から元、明にかけて、講釈として語られることによって、中国の民衆の厳しい目にさらされ、鍛え抜かれてきました。小説として書かれた『水滸伝』も語り物の体裁を失っておらず、一人の講釈師が百回ないし百二十回にわたって聴衆に語って聞かせる物語という設定で書かれています。

 

この視点人物、講釈師ちゃんについてですが、近代の洗練された小説における「神の視点」とはだいぶ違っていて、要所要所で自分の存在を主張するほか、行動にも制限が見られます。

と言うのも彼は、今まで行ったことのない場所や時間に、一人で移動することができないんですよ。登場人物の誰かにとり憑いて、その後をくっついて歩くことでしか、移動ができない子なんです。

 

講釈師ちゃんはまず、仁宗の時代の宋の都、開封に、ポッと現れ出ます。その後、洪太尉について龍虎山へ行き、百八星の飛翔を見届けた後、洪太尉と共に帰って来て、その後数十年ほど開封でボーっとしていますが、そのうち開封でゴロツキの高俅に巡り会って、彼の後をつけます。そして出世した高俅が王進と対面した際に、王進の方にとり憑いて、一緒に陝西の史家村まで移動します。

王進が史進武芸十八般を教えるのを見届けた講釈師ちゃんは、王進が史家村を出発する際、そちらにはついていかず、史進の方にとり憑いて史家村に残ります。彼はその後、史進にくっついて旅をし、魯達と出会い、別れるに至って、魯達の方にとり憑いて、その後の行動を共にします。

 

この動きが、基本的には百二十回までずっと続くと思っていただいて構いません。

なんかこの動き、当時の語り物の視点移動としては普通だったんでしょうが、現代から見るとちょっとかわいくないですか?

ひぐらしのなく頃に」のオヤシロさまみたいで。

 

この講釈師の視点移動ですが、おそらく明清代の白話小説では一般的だったのだろうと思います。そして現代の小説においても、稀に採用されることがあります。特に、群像劇には適性があるようです。

 

我らが陳忱先生の『水滸後伝』もやはり『水滸伝』の体裁を踏襲した「講釈師視点」です。

李俊らが暹羅国へ落ち着いた後、沖で船が難破しているのを見つけて救助します。船にはなんと、高麗から宋へ戻る途中の安道全が乗っていたわけですが、なぜ安先生がずっと南にあるはずの暹羅沖なんかで難破しなければならないかと言えば、理由は色々ありますが一つには、そうでもしないと暹羅にいる講釈師ちゃんが宋に戻れないからです。

 

また、金庸の『天龍八部』もこの視点移動を採用しています。

天龍八部』の中には、通常主人公には数えられない木婉清と游胆之が主人公のように振舞っている箇所が、各々一章くらいずつあるんですが、木婉清の場合は段誉が別行動をとっている間に、講釈師ちゃんが四大悪人のうち三人の人となりを描写するにあたって、一緒にいる登場人物が必要だったから。游胆之の場合は、蕭峯のもとから虚竹のところへと講釈師ちゃんを送り届ける存在が必要だったからです。

 

個人的に、『水滸伝』の講釈師ちゃんの萌えポイントのうち最大のものは、この特徴的な視点移動だと思っているのですが、他にもこの子は、突如として「なになに?なんで〇〇(登場人物)はわざわざこんなことをするかって?それはね……」と、聴衆と実際の講釈師とのやりとりを再現しだしたり、

回の終盤にさしかかるあたりで「わたくし、かの〇〇(登場人物)と同年生まれの幼なじみでありましたならば、△△(地名)へは行くなと、腰にすがりついても止めたところでございます」みたいなことを言ったりと、

面白いことをたくさんやらかしてくれます。

 

個人的にはもっと、視点人物としての講釈師の存在に的を絞った研究がたくさんあってもいいと思うんですけどね。

そのくらい語るべきことのたくさんある、興味深い「登場人物」だと思っています。

 

 

企画「武俠好きさんに質問」は6月末で終了します


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これまでに21回の開催を数え、多くの武俠ファンの皆様にご愛顧いただきました「武俠好きさんに質問」ですが、開始から1年を迎える6月末で、終了させていただくはこびとなりました。

理由は、端的に言いますと「ネタ切れ」です。企画者一人が満足すればいいなら別ですが、多くの武俠ファンの皆様に楽しんで回答いただけるものとなると……あと1年続けられるだけのネタは、さすがに持っていません。

また、質問募集のシステムに設計不良があり、破綻が見え始めていたので、このあたりで区切りとさせていただくのが最善と判断しました。

 

参加くださった方、ご覧いただいていた方の中から、この企画の使いづらい部分を改善し、よりよい形で類似の企画を立ち上げられる動きがありましたら、心から応援させていただきます。

何か、企画者がお役に立てることがあれば、「金庸bot」へのリプなどでお知らせください。

 

本企画「武俠好きさんに質問」の最終回は、第27回。

それまで、今回の第22回を含めて6回の開催が残されています。

クライマックスに向けて、これまで皆様に訊けていなかった重要な質問を一つずつ投下していきたいと思いますので、最後までお付き合いいただけましたら、大変光栄に思います。

 

第22回の質問はこちらです。

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過去の「武俠好きさんに質問」の開催結果から、国内での武俠小説の流通がほぼ途絶えているということがわかりました。

で、ここから何ができるか、ということですが……

「武俠初心者にオススメしたい作品」として、多くの方が挙げられる作品がわかってこれば、当面、その作品に絞って復刊の活動をするのが、効率的だと思うんですね。

玄人向けはこの際後回しにして、まずは間口の広い作品にリソースを割いていくべき、というか。

 

武俠ファンの間で「初心者にオススメの作品」について共通の認識を持つためにも、大切な問いだと考えたため、残り6回のうち1回に宛てました。

ぜひ江湖の仲間たちのお知恵をお貸りしたく、よろしくお願いいたします。

(もちろん、映画やDVD、漫画等をご回答いただいても大丈夫です。多くの皆様の回答が集まるコンテンツがあれば、その作品の流通復活をプッシュする動きができると思います)

 

 

「武俠好きさんに質問」の企画自体は終わりとなりますが、当botはこれからも、現在と未来の武俠ファンの皆様のために何ができるのかを、考えていきたいと思っています。

現在、よりbotの内容に即したかたちでの企画を考案中ですので、今後も当botの動向について、ちょっとだけ関心をお寄せいただけましたら幸甚です。

 

 

 

水滸伝関連書籍bot 連想語り 081


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こいついっつも「鎮三山()」って言われてんな

 

……およそ人物紹介系の水滸関連書籍で、黄信のあだ名をいじっていない本というのは、おそらく存在しないと思います。

もし、このあだ名いじりが根も葉もないガセなら、黄信はこれらの本を名誉毀損で訴えてもいいところですが、

悲しいことに「二龍山、清風山、桃花山の三つを鎮める」という意味で自ら「鎮三山」と名乗ってしまったことも、清風山ひとつに屈したことも、紛れもない事実ですからねえ……。

(チラッと、「清風山は黄信一人に三人がかりで、卑怯だぞ!」とも考えたんですが、その程度で押し負けるようでは、二龍山を攻めたとき、あの頭領たち相手にどうやって勝つつもりだ、って話ですよね)

むしろ、もし鎮三山をいじってない紹介本があれば、その本は黄信をちゃんと紹介できていないということになります。

 

あだ名いじりを宿命づけられた好漢、黄信……。

水滸伝』には可哀想なキャラがたくさん出てきますが、その「可哀想さ」にも、様々なあり方があるんですね……。

 

 

ところで、『水滸伝』読者の間では有名な『ジャイアントロボOVA』というアニメがあり、横光先生デザインの黄信が割と重要な役で出てきます。

自分はGロボを観たのは『水滸伝』原作を読んだ後だったので、主人公の大作に厳しい態度で接する黄信を見ていて

「鎮三山なのに、なんであんなに偉そうなんだ……」

と、ぼんやり思った記憶があります。

まあでも、横光水滸伝における黄信は、半分秦明みたいなものですからね。厳しいのも無理はない。と、後で思い直しました。

 

なお、横光版にも一応「秦明」という名前のキャラは出ていますが、個人のエピソードを持たないモブキャラです。原作における秦明の仲間入りエピソードは、改変を受けた上で、全て黄信のものとなっています。

個人的にはあの改変は、横光水滸伝の中でも屈指の功績だと思っています。あのいきさつであれば、黄信(秦明)が仲間入りを承諾するのにも、納得がいきますからね。

まあ、宋江が「黄信が今清風鎮に戻ったらまずいのではないか」と言い出したのがあのタイミングなのは、ホワイトに見えて、やっぱりちょっと腹黒いからなのかもしれませんが。(本当はもっと前に気づいていたけど、黄信に現実の厳しさをわからせるため、敢えて言わずに帰したのかも)

そうした含みを持たせているところも、うまいと思います。

 

 

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水滸好きさんに質問 第4回への回答についてのぶっちゃけ話


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質問に回答するのに、わざわざブログの記事をでっち上げてリンクを貼ったり、画像をでっち上げて添付したり。

こんなことをするのは、「こういう回答のしかたもあるんだよ」という可能性を、広く提示するためだったりします。

質問の出題者である一方で、回答のしかたは極めて異端。そういう存在を僕は目指したい。

 

……とは言っても、「武俠好きさんに質問」の方ではこんな回答の仕方はいくらも持ちませんでしたし、「水滸好きさんに質問」でも、どれだけ続けられるかはわかりませんけどね。

まあ、思いつく限りは色んなことを試してみたいと思います。

 

 

それはさておき、回答の内容についてです。

他のことは全部諦めてるんですよ。身体能力は衰える一方だし、字はこれ以上うまくならないし、木工や金工や裁縫をやらせれば素材がボロボロ、医療や料理は衛生管理ができそうにないから無理、計算は電卓があるしいいや別に。

ただ、音楽だけは諦めきれないんです。

 

楽和さんの能力は多分、「初めて演奏する楽器でも、すぐに使い方がわかって、少しの練習で何年も使い慣れたように習熟することができる」ってな感じのものだと思うんですね。

単なる耳コピであればそれほど稀有な才能ではありませんが、楽器の使い方をすぐに覚えられるのは実に強い!DTMでその音色を打ち込むときに「ホントにこんな使い方するのかなあ……」と不安にならずに済むし、逆に言えばその楽器の特性を生かしたパッセージを創り出すことも、簡単にできるわけで。

うぅ……うらやましい!ぜひともその能力の片鱗を分けてほしい!!

 

……などという個人の事情はどうでもいいんですよ。

言いたかったのは、あまり深く考えずに投げてみたこの質問ですが、実は、回答者の方がその人生においてどんなものに価値を置くかを浮き彫りにする、意外に深い問いだったんじゃないか、ということです。

今回の企画に参加されない方も、機会がありましたらフォロワーさんたちと語り合ってみてください。お友達や自分自身の隠された一面が、垣間見えてくるかもしれません。

 

 

それにしても。

今さらですが、梁山泊というのは実に、色々な方面でのスペシャリストが所属している集団ですよね。

もし自分が中学生のときに『水滸伝』を知っていたら、期末テストのとき、好漢たちを勝手に各教科の守り神に祀り上げていたと思います。

国:蕭譲

数:蔣敬

社:朱武、裴宣あたり?

理:皇甫端、凌振など

英:燕青(習熟が尋常になく速いという意味で)

美:金大堅

音:楽和、馬麟

技:湯隆、孟康など

家:侯健、曹正、居酒屋の面々

体:多数。陸上、球技、水泳、武道……何でもござれですね。

保:安道全。まああらゆる意味で

どうです?完璧な布陣ではありませんか。

 

さすがにゼロ勉でご利益にだけ与ろうというのは虫が良すぎますが、人事を尽くした上で待つ天命的な意味で、「好漢が見守ってくれてる」と思うことができれば、そこそこの効果は見込めるかもしれません。

またテスト勉強そのものも「好漢が見守ってくれてる」と考えれば、捗りそうな気がしますよね。

自分はもう、期末テストから離れて長いこと経ちますが、現役の皆様はよかったら取り入れてみてください。

「使えそうなものは何であれ利用してやる」!

これが、受験で勝ち上がるために大切なスタンスだと、個人的には思っています。

水滸好きさんに質問 第3回への回答


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好きなエピソードを、思いついた端からこの記事内に書き込んでいこうと思います。3/22が終わる時点での記事の状態が、現段階でのこの問いへの回答ということになりますね。

なんか絨毯爆撃状態になりそうですが……とりあえず、やってみます。

 

 

史進の王進先生への弟子入り。史進のアホの子らしさがよく出ています。このくだり、講釈で聴いたら面白いでしょうね。

 

史進と少華山の頭領3人が仲良くなったくだり。朱武は「史進を計略にかける」と言ってますが、同年同月同日の誓いが本当に存在したなら、朱武のとった手は単なる正攻法だと思うんですよね。それをわざわざ「計略」と言うあたり、朱武は自分を策士と思いたがってる人なんだろうなと。

 

・魯達の拳もて鎮関西を打つくだり。ぶん殴ってるときの「店開き」シリーズが面白すぎます。

 

魯智深の酔って五台山を騒がすエピソード。これは98年のドラマがよかったです。坊さんがわらわら出てきて止めようとするけど全然歯が立たないシーン。

 

魯智深の桃花山滞在記。李忠と周通のしみったれ具合に、どことなくユーモラスな哀愁が漂っています。

 

・菜園子魯智深の巻。「そんな荒くれ者なら菜園の番をさせりゃいい」と言い出した大相国寺の僧、GJですよね。ゴロツキどもとのかけ合いもいいです。

 

・野猪林。董超と薛覇のやり口にムカムカしていたので、魯智深が来てくれてスカッとしました。この二人、ずっと後に燕青に殺されてるんですよね。因果応報です。

 

林冲落草。王倫の策が裏目に出て、楊志は残らず林冲のみ仲間入りするという結果になるのが面白いです。「策を弄した結果、自分の意図とは全く違った状態に落ち着いてしまう」みたいな複雑な筋書き、中国の小説は好きですよね。

 

楊志刀を売る。牛ニを殺した後に潔く出頭する楊志さんも好漢だし、一緒に役所に行って申し開きをしたり、差し入れをしたりする街の人たちもナイスです。

 

楊志と索超の御前試合。まあよくある武将同士の斬ったはったなんですが、なぜこの試合にとりわけ気分が高揚するのか、自分でも謎です。

 

・七星議に集まる。北京→朱仝&雷横→劉唐というダイナミック視点移動、劉唐と雷横の喧嘩に呉先生の仲裁、阮兄弟とのあずま屋での宴席など、好きなシーンの連続です。

 

・智取生辰綱。ストレスで胃がマッハな中間管理職の楊志さん、暑くて死にそうな兵士たち、中途半端に発言権のある梁夫人の乳母の夫、謎の棗売り七人、通りすがりの酒売り、どの立場からでも見応えのある物語となっているのが素晴らしい。ミュージカルにしたら面白いんじゃないでしょうか(適当)。

 

魯智深楊志が二龍山を攻めるくだり。しがらみから解き放たれた二人が生き生きして見えて、こちらまで元気になれるエピソードです。あと、この辺は曹正の最大の見せ場ですね。

 

宋江、朱仝、雷横が晁蓋らを逃がす場面。特に朱仝と雷横が互いを欺き合ってるのがツボです。この時点ではこの二人、全然相手の腹の内が読めてなかったんですよね。あ、同じ理由で朱仝が宋江を逃がすシーンも好きです。

 

・新生梁山泊誕生。王倫に対する謀叛のくだりは、まあ概ねどのリメイク小説・漫画にもあるんですが、杜遷・宋万・朱貴が王倫を助けに行け(か)なかった事情に解釈の違いが見え隠れして、面白いです。

 

・閻婆惜殺し(←こう書くと物騒ですね)。何がって、「黄金百両を寄越せ」と言う閻婆惜に、宋江が「もらってない」と主張する場面の絶望感が好きなのです。これほど倫理観の異なる相手に対しては、どんな言葉を尽くしても、絶対に信じてもらえないに決まってるじゃないですか。

 

・武松VS虎……の前座の、居酒屋のオヤジとの会話のくだり。虎との闘い自体はですね……98年のドラマを見てたら、武松さんが強すぎるせいで大きい猫を虐めてるように見えてきて、なんかちょっと可哀想で……。

 

西門慶潘金蓮のエピソードは、武松さんが出張から帰った後の話が好きです。周到な準備に基づき復讐を成就させるその手腕は見事です。

 

・武松VS孫二娘。人肉饅頭の描写がやけにリアルなのと、キャミソール一枚で下男たちを罵る孫姐さんの姿がシュールなのとで、最早ギャグとして読んでます。

 

・酔って蔣門神を打つ。武松さんが豪傑すぎて施恩がどうしようもないモヤシに見えますが、ヘンに色々気を回して気疲れしてしまう、その気持ちもわからなくはないです。

 

中秋節の宴から鴛鴦楼まで。読んでいるこちらまでバーサーカーモードに入ってしまう、不思議なエピソードです。小間使いの玉蘭が何を考えていたのかも、解釈のし甲斐があります。

 

・清風寨〜清風鎮。酔い覚ましのスープに始まって、鎮三山なのに清風山ひとつが制しきれず秦明に助けを求める黄信まで、ありとあらゆる局面が話としておいしすぎます。ただ惜しむらくはこのエピソード、最後の後味が悪いんですよね……。

 

宋江の江州への旅路。ゴロツキ共にやたら襲われる宋江と、そのたびにいちいち助けてくれる李俊が面白すぎます。

 

宋江の江州滞在記〜梁山泊による救出まで。特に、戴宗と李逵と張順と四人で呑んでるくだりが楽しそうったらありません。あと、みんな大好きうっかりと、好漢がわらわら集まってくるシーンが特に好きです。

 

九天玄女から天書を授かるシーン。それまでの俗世の喧騒から一線を画した風情がありますね。と、こう書いてみると、岩波(吉川・清水版)の4巻はほぼ切れ目なく好きなシーンばかりです。ただ、嫌いな箇所もゼロではないんですよ。例のアレと例のアレは苦手です。

 

李逵の里帰り。母への思いが空回りする李逵の悲しさと、朱富と李雲の絆が泣かせます。小物悪党・李鬼もいい味出してました。っていや、物理じゃなくて……あ、この場合物理でもあるのか。

 

・戴宗の第一次公孫勝捜索記。楊林と飲馬川のみなさんが好きなのです。彼ら、相当カオスな組み合わせですよねw

 

・石秀くん、孤軍奮闘するの巻。何度心の中で楊雄に対し「バカーッ」と叫んだことか……。でも潘巧雲ってそんなに悪い人ではないと思うんですよね。単に、楊雄との相性が絶望的に悪かっただけで。

 

・祝家荘は、大規模戦争で流れがよくわからんし後味が悪いし、特に好きではなかったんですが、歌舞伎の『新・水滸伝』を観てから好きになりました。あの脚本を作った方は、間違いなく水滸伝に対する並々ならぬ愛をお持ちです。

 

・孫立ファミリーの牢破り。横光版のこの場面はみんな輝いていましたね。あと「弟を救いたい病」が地味に十何年もツボってます。

 

・雷横と朱仝の仲間入りイベント……の、途中まで。特に、雷横と白秀英の小さな諍いが、互いの親を巻き込んでどんどん深みにハマってしまうくだりが実によくできています。あと、自分が罪をかぶってでも雷横を逃がす朱仝さんには胸が熱くなりますよね。

 

・VS高廉戦はやはり、李逵の奮闘ぶりが、微笑ましくもあり、涙をさそいもします。柴進のことは心の底から救いたいと思ったんですよね、きっと。李逵ってたまにこういう気まぐれを起こすから、憎みきれないですね。 

 

呼延灼戦は最初から最後まで、どこをとってもおいしいトッポのような存在です。たくさんの好漢に見せ場がありますが、その中でも特にMVPをあげたいキャラは、楊志、凌振、孔亮、湯隆、時遷そして踢雪烏騅!……って、すでに1人じゃないですねサーセン

 

・少華山の仲間入りイベント。エピソードとしては地味ですが、ミイラ取りがミイラな魯智深、堅実に頑張ってる楊春、鮮やかな水中ショーで魅せる張順など、見どころはしっかりあります。

 

・芒碭山の仲間入りイベント。黄門山についても言えることなんですが、樊瑞ら3人の過去って、原作に詳しく書いてないので妄想し放題なんですよね……。芒碭山の姿は、読者の数だけあっていいと思います。『水滸伝』という物語は、実に懐が深いです。

 

・第一次曾頭市戦。この戦いと晁蓋の遺言についても、解釈が分かれるところで、面白いと思います。個人的には、晁蓋は梁山が宋江の思う姿に変えられてゆくことに危機感を持ち、この辺りで自分のイニシアチブをはっきりさせようとして、焦って戦いに臨んでしまったのだと考えています。晁蓋が戦いに連れて行った頭領も、彼と縁の深い古株メンバーが主です。

 

・盧俊義を梁山泊にお招きする作戦。名だたる頭領たちが、入れ替わり立ち代わり、呉先生の指示に従って動き、盧俊義と梁山泊の結託を既成事実にしてゆく、その過程が見事です。

 

・盧俊義が救い出せないの巻。石秀「梁山泊の頭領、みんなここに勢揃いだーッ!」→誰も後に続かない には、つい笑ってしまいました。いや、笑い事じゃないですねサーセン

 

・北京での攻防戦。関勝まわりでは、捕らわれの張横と阮小七、呼延灼の罠が好きです(ここもリメイクにより解釈が分かれますね)。忘れちゃならないのは、宋江が病気になって安先生呼んでくるところ。あと、変装して北京に忍び込んだ好漢たちが、道で出会ってニヤニヤしてるシーンがホント好きです。こういうしょーもないやりとり、梁山泊ではたくさん行われていたでしょうね。表立っては書かれないだけで。

 

・単廷珪と魏定国の仲間入り。しばしば言ってるので今回は割愛しますが、この二人は仲間入りイベントが最大の見せ場です。裏で李逵がうろうろして鮑旭と焦挺連れてくるのもいいですね。

 

・第二次曾頭市戦。盧俊義が史文恭を倒せたのは晁蓋の霊の加護があってこそです。史文恭も昭夜玉獅子で動き回ってましたが、天王の英霊を敵にしては逃げ切れませんでした。阿弥陀仏

 

・東昌府の史進が捕まるところと、顧大嫂とうまくコミュニケーションが取れず牢破りが失敗するところ。なぜか夏目漱石坊っちゃんと清を思い出します。

 

・百八星集結の巻。面白い出来事なんかは特に起こらないんですが、雰囲気がいいですよね。卒業式みたいじゃないですか?……そ、そうでもない?

 

・70回代前半の中では、李逵扮する裁判官のデタラメなお裁きのくだりが好きです。もう何件か裁いて、もっとふざけ倒してほしかったです。

 

・対朝廷戦では、使者の不誠実な態度を見抜いて招安をブチこわす好漢たちの姿が輝いていましたね。逃げ惑う童貫や高俅を入れ替わり立ち代わり猛追撃する軍人出身の頭領たち、そして水軍の活躍も目覚ましかったです。

 

・招安前後も実は結構面白いところで、朝廷に絶対服従宋江とそれ以外のメンバーの気持ちの乖離の描写が(好き、とは少し違いますが)大変重要だと思っています。役人を殺してしまったモブ兵士のエピソード。大事です。

 

・征遼は確かにそれまでに比べれば精細を欠くんですが、それでもキラリと光るシーンはいくつか見られます。開始早々大活躍する張清、遼側が展開する陣を次々と見破る(が対抗策は提示できない)朱武、道に迷った盧俊義たちを救った白勝と解兄弟の活躍、など。

 

・百二十回本の田虎の段は、やはり喬道清戦のぶっ飛び具合がよかったですね。瓊英ちゃん関係では張清よりも、何回もぶつけられてんのに蘇って立ち向かっていく李逵が面白すぎました。李逵の初夢も面白すぎました。

 

・王慶の過去話は、まあ大体がどこかで読んだような話ではあるのですが、逆に言えばそこが面白いところだと思うんですね。王慶と梁山泊の好漢たちの違いは、どこにあるのか。もしかすると大した違いはないのかもしれない(勝てば官軍、という言葉もありますし)。そんなことを考える機会を与えてくれます。

 

・王慶戦で好きなシーンは、やはり第一回で回答した、蕭譲の活躍と蕭嘉穂らの王慶軍撃退です。

 

・方臘戦は、読むのはしんどいですが、死に様を敬礼して見送りたくなる好漢はいますよね。その最たる例が張順です。あと、やはり李俊関係がよかったです(穆弘と共に投降者のフリをしたりとか。費保らとの邂逅も、作品全体にとって大事なエピソードですね)。もう一つ、湯隆が死の直前に鉤鎌鎗でお手柄を立てていることを、たくさんの水滸伝読者様に認識してほしい!です!!

 

・方臘戦後のこと。生き残った好漢の多くがもとの暮らしに戻ってゆくなかで、宋江李逵呉用花栄、盧俊義、燕青、李俊と童兄弟、それぞれの行く末が印象的です。書きぶりはごく淡々としたものながら、読むたび厳粛な気持ちにさせられるラストです。

 

……と、何とか最後まで辿り着きましたが、抜け落ちているエピソードは色々あると思います。その辺りは今後、思い出したことからブログで語っていくことになるでしょう。

 

自分で「特に好きなエピソード」と質問を出しておきながら、回答は全然「特に」じゃないじゃーん!!……と、誰にも言われないのでセルフツッコミしておきますが……

まあ何でしょう、自分はあまり、特定の好漢なりエピソードなりを贔屓にしないのがポリシーなんですね。

「特に好きな○○」という問いに回答しようとすると、今回のように絨毯爆撃するか、第1回のように「今の気分です」と断った上で1件ピックアップするか、どちらかの態度を取ることになると思います。

まあ、時間の制約上、大抵の場合は後者になるかな、と。

 

 

こんな長文を最後までお読み下さった方、もしいらっしゃいましたら、誠にありがとうございました。

特に面白くもなくてすみませんでした……。

この中に一つでも、皆様がこれまであまり意識を向けていなかったエピソードがあり、改めて見直すきっかけをつくることができたのでしたら、大変光栄に思います。

 

 

助けて!日本の武俠小説業界が息してないの!!

 

……はい、ちょっと気になったんで調べてみたら、えらいことになってました。

 

もしかすると「たまたまAmazonが切らしてるだけで、あるところにはある」のかもしれません。

ひょっとすると、「たまたま調査したのが品切れの時期だった」というだけで、版元は今後、増刷を予定しているのかもしれません。

しかし、「Amazonで新品が手に入らない」というのは、「供給がない」ということと、ほぼ同義じゃないかと思うんですよ。

 

いつの間にか、日本において、武俠小説ファンの新規参入の道は閉ざされていました。

今、我々がいるのは閉じた世界です。今いる武俠小説ファンがいなくなれば、この世界はひっそりと終わりを迎えます。新しい住民が入って来られないのだから、当然です。

 

自分は個人的に金庸の小説を「この世界全体にとっての大きな財産」だと思っていて、だからこそ金庸botを運営するに至ったのですが、ここまで壊滅的な状況から、何かできることがあるのだろうか……と、打ちひしがれる思いです。

 

もちろん、版元を責めるつもりはありません。出版社には社会的責任があるといえども、商売こそが本分ですから、需要がない本をいつまでも刷り続けるわけにはいかないでしょう。

問題は、「金庸の小説に需要がない」というところにあります。

そしてこの事実に対しては「閉じた世界で既存の武俠ファンに向けてだけ情報を発信していればいい」と思っていた自分も、責任を感じざるをえません。

(まあ、「社会に対する影響力なぞ無きに等しいお前が責任などと、烏滸がましい」と言われればそれまでですけどね。感じるだけなら、自由かと。)

 

 

これから、『笑傲江湖』だけを武器に、どんなことができるでしょうか。

一朝一夕に思いつくものではありません。

しかし、せっかく日本語に翻訳された金庸作品の読者を絶やさないために、尽くせる手は尽くしたい。

 

「武俠好きさんに質問」は、開始から1年を迎える6月で、一旦休止とさせていただきますが、その後も何らかの企画は実施していきたいです。

できれば、既存ファンの皆様だけでなく、武俠の世界に触れたことのない人々の耳目をも、集められるような何か。

しばらくお時間をください。考えてみようと思います。