梁山から来ました

中華圏の小説、ポーランドボール、SCP財団、作曲、描画などが好き。皆様のお役に立てる/楽しんでいただけるコンテンツ作りを目指して、試行錯誤の日々です。

「水滸好きさんに質問」第9回への回答


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実質、初めて読んだ『水滸伝』は、横光版だったので(厳密には違うんですが、まあ最初のは水滸にカウントできるか微妙なので……)横光版の中のシーンということになります。

まず横光で好きになっていなければ、原作に進んでいないはずです。

 

で、横光の中のどのシーンかといいますと……

多分、次のようなシーンを読むたびに、段階的に少しずつ好きになっていったのだと思います。

・洪太尉が龍虎山で牧童に出会い、後に牧童こそが張天師だったとわかる

・王進先生と史進が出会う

史進と少華山の頭領たちが仲良くなる

・魯達が肉屋の鄭を殴る

魯智深、五台山での大暴れ

魯智深史進と協力して崔道成らを倒す

・王倫、林冲に投名状を要求→楊志との決闘

楊志、刀を売る

・七星、義に集まる

・智取生辰綱

横光版の「智取生辰綱」を読んだところで、『水滸伝』はこれから残りの生涯をかけて読み込んでいくべき作品なのだろうと思った気がします。

だから、

「横光版の最初の洪太尉のエピソードの時点でもう既に割と好きで、智取生辰綱の時点でその『好き』が確立された」

ということになるのだと思います。

 

その後、原作(岩波の吉川・清水訳)を読むことでより深く沼に沈んでいくわけですが、

そこで「本来、生辰綱運搬グループの隊長はポッと出のモブではなく楊志さんだった」と知って、原作の智取生辰綱のエピソードが横光版以上に好きになりました。

横光先生も、尺の関係や、「少年向けである以上は正義の味方と悪者をはっきり分けたい」というお考えがあって、隊長を別の人物に替えたのだろうとは思うんですが……

話を深くするためには、あそこの隊長はやはり、楊志さんの方がいいと思うんですよ。一度は政府の犬として晁蓋らと敵対した楊志さんが、歳月を経て晁蓋らの味方になる、そこが面白いところです。

 

……とはいえ、横光版の智取生辰綱は、黄泥崗でのやりとりをかなり忠実に再現しており、また愛嬌のあるキャラクターのユーモラスな動きは、他には替えがたい魅力を放っています。

今読んでも全く飽きの来ない、稀代の名シーンです。