水滸伝関連書籍bot 連想語り 083
#最終回発情期
— 水滸伝関連書籍bot 「水滸好きさんに質問」実施中! (@shuihu_related) 2020年5月11日
おっと、『水滸後伝』さんの悪口はそこまでだ! pic.twitter.com/Ym9YAlW3bM
どうも最近、新しいブログ記事を立ち上げる頻度が低くなっています。
それもそのはず、これまでは出先でスマホをポチポチやって記事を作ることが多かったのですが、近頃はめっきり部屋に引きこもってしまっていますからね……
近所の喫茶店にも長居しづらいし(そもそも閉まってるところが多いし)、困ったもんです。
近況はこのくらいにして、「最終回発情期(ファイナルファンタジー)」とかいう画期的な概念についてです。
これは、漫画『銀魂』内で出てきた造語だそうです。実に便利な言葉です。確かに、そういう漫画が多いことには、これまで何となく気づいていたんですが、的確な言葉がなくて言い表せなかったんですよね。
ただ、『銀魂』の作者さんも意識されていないことですが、実はこれは「昨今の漫画」にのみ見られる現象ではないのです。
清代に書かれた白話小説の『水滸後伝』が、登場人物の多数が雪崩をうって結婚していくエンディングで書かれておりまして……
しかも、「複数のカップルの結婚式で終わる」というのは、その時代の小説によくあったケースらしいのです。
(もちろん、当時の「結婚」を「発情の結果起こる現象」と解釈するのは無理がありますが……)
『水滸後伝』の熱心な読者のひとりであったわが国の曲亭馬琴も、『八犬伝』をこの形式で終らせています。
児童向けの『八犬伝』のラストを読んだときは、ちょっと唖然としましたね。
最後のページをめくったら、
「〇〇(八犬士の一人)は、△△姫と。
〇〇(八犬士の一人)は、△△姫と。
(以下5、6回繰り返し)
それぞれ結婚し、末永く幸せに暮らしました。」
みたいなことが書いてあったので。
まあ、自分はそれまで『八犬伝』の物語を読んでくるなかで、八犬士たちとヒロインの仲を密かに応援していたので、唖然とした次の瞬間には、ニヤニヤが止まらなくなったわけですが。
ちなみに田中芳樹先生は、このエンディングにはあまり肯定的ではないようです。田中先生の『新・水滸後伝』は、まあ最後に結婚式はあるにはあるんですが、物語上本当に必要な人物しか、そこでは結婚させていません。
皆様はいかがでしょう。「最終回発情期」なエンディングには、モヤっとしてしまう派ですか?
自分はと言いますと、『八犬伝』の読後の反応からもわかるように、それほど嫌いではないです。主役級・脇役問わず、それまでの物語で見守ってきたキャラたちが幸せになるとわかれば、祝福したい気持ちになります。
ただ、それまで全く接点がなかった(または接点を作中で書かれていなかった)キャラが、最後に突然繋がりを持ち、ちょっとした会話を交わした後にくっつくのは、納得いかない部分もありますね。
そんな選択で大丈夫か?物語が終わってすぐ別れるんじゃないか?…などと、不安になってしまいます。
『水滸後伝』で言えば、燕青と盧二郎の娘の結婚や、呼延鈺と呂のお嬢さんの結婚、楊林と方明の娘の結婚などは、過去にフラグが存在しているので、まあ納得がいきますが、李俊と聞煥章の娘や、宋安平と蕭譲の娘の間には、それまで何もなかったので、違和感を覚えてしまいます。
まあ、当時の読者からしてみれば、「聞煥章の娘については過去に霊験があり、『ゆくゆく高貴の人に嫁ぐ』ということがわかっていた。それこそがフラグじゃないか。それ以上、何を望むことがある?」ということになるのかもしれませんが。
楽和さんのケースなどはもっと酷くて、作者の陳忱先生はそれまでの物語で存在をほのめかしてすらいなかったキャラを、最後に彼と結婚させるためだけにでっち上げています。まさに……作中でも言われているように、「ありあわせの嫁さん」です。
楽和さんは最重要人物のひとりなんだから、結婚相手ももっと早く出しとけよ……などと、現代の我々は考えてしまうのですが、当時の読者からしてみれば、「結婚相手は中土出身の人物で教養があり、芸事にも明るく、公主じきじきの推薦を得られるほどの人柄と紹介されている。そういう人物を娶れば、楽和が幸せになれるのはわかりきったことじゃないか。これ以上、何を望むことがある?」ということなのかもしれません……。
「ラスト間際の結婚(カップル成立)」というのも、考え始めると結構、奥が深いものですね。他にも、現代の漫画で起こる現象と『水滸伝』や『水滸後伝』の中で起きる現象を比較できると、楽しみが広がるのではないかと思います。
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