梁山から来ました

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水滸伝関連書籍bot 連想語り 079


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……ということですが、「花知寨」は「ならず者の知寨」という意味ではありません。また花栄の妹も、結婚前は「花姑娘」と呼ばれたこともあったのでしょうが、別にあばずれというわけではないのです。

花夫人の崔氏も、夫人としてあるべき枠をはみ出してはおらず、また花栄の息子も、後伝では長じて「花公子」と呼ばれるようになりますが、不良息子とはかけ離れた、親孝行な少年です。

……って、いい加減しつこいな。サーセンw

 

 

「花」という字には、確かに「それとしての分際を踏み外した」という意味になることがあるのですが、同時に人の名字でもあるし、日本語と同じように、植物に咲いている花の意味もあるんですね。

「花」の字そのものは、中国人に対して悪い印象を与えるものではなさそうです。現に、金庸の『飛狐外伝』には、「馬春花」という娘さんが出てきて、「垢抜けた名前でこそないけれど、鏢局(運送業兼保険屋みたいなもの)を営む父親が精一杯考えてつけたようだ」とされています。

 

ではどういう場合に、名字でも植物に咲く花でもなく、「罵り言葉の接頭辞」として機能するかと言えば……

まあ、文脈判断だろう、としか……。

ちうごく語って難しい。

 

 

ところで「ならず者の知寨」とか変なことを口走ってしまったせいで、一つ思い出したことがあるんですが。

弓の射手って、戦場での一騎打ちが長引くと、敵方の武将に向けて矢を射かけたりしますよね。

あれって、花栄がやると、危ういところで味方を救ったりして称賛されるのに、敵がやると、梁山泊の頭領たち(そして読者も)は「卑怯だ」って罵るんですよね。

 

何なんでしょうね、このダブルスタンダード

一体、一騎打ちの最中に矢を射掛けるのは、英雄好漢の行いなのか、卑怯で姑息なことなのか。『水滸伝』の後半、主に70回以降を読むたびに混乱してしまいます。

 

これもやっぱり、アレですか。

文脈判断、なんでしょうか。

ちうごくの文化って難しい。

 

 

 

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