水滸伝関連書籍bot 連想語り 079
人の身分や職業の上に「花」がつけば、「それとしての分際からはみ出した」「できそこない」の意である。「花公子(ホアコンツ)」は不良息子であり、「花姑娘(ホアクーニャン)」はあばずれである。したがって「花和尚」は「ならずもの坊主」でもある。
— 水滸伝関連書籍bot (@shuihu_related) 2020年3月5日
【世界】
……ということですが、「花知寨」は「ならず者の知寨」という意味ではありません。また花栄の妹も、結婚前は「花姑娘」と呼ばれたこともあったのでしょうが、別にあばずれというわけではないのです。
花夫人の崔氏も、夫人としてあるべき枠をはみ出してはおらず、また花栄の息子も、後伝では長じて「花公子」と呼ばれるようになりますが、不良息子とはかけ離れた、親孝行な少年です。
……って、いい加減しつこいな。サーセンw
「花」という字には、確かに「それとしての分際を踏み外した」という意味になることがあるのですが、同時に人の名字でもあるし、日本語と同じように、植物に咲いている花の意味もあるんですね。
「花」の字そのものは、中国人に対して悪い印象を与えるものではなさそうです。現に、金庸の『飛狐外伝』には、「馬春花」という娘さんが出てきて、「垢抜けた名前でこそないけれど、鏢局(運送業兼保険屋みたいなもの)を営む父親が精一杯考えてつけたようだ」とされています。
ではどういう場合に、名字でも植物に咲く花でもなく、「罵り言葉の接頭辞」として機能するかと言えば……
まあ、文脈判断だろう、としか……。
ちうごく語って難しい。
ところで「ならず者の知寨」とか変なことを口走ってしまったせいで、一つ思い出したことがあるんですが。
弓の射手って、戦場での一騎打ちが長引くと、敵方の武将に向けて矢を射かけたりしますよね。
あれって、花栄がやると、危ういところで味方を救ったりして称賛されるのに、敵がやると、梁山泊の頭領たち(そして読者も)は「卑怯だ」って罵るんですよね。
何なんでしょうね、このダブルスタンダード。
一体、一騎打ちの最中に矢を射掛けるのは、英雄好漢の行いなのか、卑怯で姑息なことなのか。『水滸伝』の後半、主に70回以降を読むたびに混乱してしまいます。
これもやっぱり、アレですか。
文脈判断、なんでしょうか。
ちうごくの文化って難しい。
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