梁山から来ました

中華圏の小説、ポーランドボール、SCP財団、作曲、描画などが好き。皆様のお役に立てる/楽しんでいただけるコンテンツ作りを目指して、試行錯誤の日々です。

「水滸好きさんに質問」第1回への回答


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マトモに列挙しだすと72人とかは簡単に越えてしまうので、今の気分で一人だけピックアップします。

蕭譲です。

 

むかし一回流し読みした程度で、あまり馴染みのなかった王慶の段。今年の初めに思い立って、よくよく読んでみますと、そこにはまぶしくて直視できないほどの輝きを放つ、蕭譲がいました。

王慶の段の作者は、方臘戦に連れて行ってもらえない蕭譲のために、派手な引退の花道を用意してあげたってことなんでしょうかね。だったら皇甫端にもちょっとは出番を分けてあげようよ……などと思ったりもするんですが、まあそれはそれとして。

 

 

王慶戦のなかで蕭譲の見せ場は、二つあります。

一つは、都から遣わされた高官の陳安撫とともに城を守っていたとき。主だった武将は別々に敵襲の報せを受けて外に戦いに行ってしまい、城内の頭領は蕭譲・宣贊・郝思文の三人、あとは弱った兵たちだけ、という状況。彼らはそんなときに、襲い来る敵から城を守らねばならなくなります。

蕭譲はこのとき一計を案じ、敵に対してわざと余裕ぶった態度に出、大きな兵力が城内に残っているように見せかけました。敵が浮き足立ったところを、すかさず宣贊と郝思文が襲い、宋軍は大勝利を収めることができました。

まあ大変なお手柄なわけですが、これについて事後報告を受けた宋江は「書生ふぜいが無茶しちゃって……敵にバレたらどうするつもりだったの」みたいなことを言って、ちょっと残念なオチがついてるのも、また面白いところ。

 

二つ目は、蕭譲だけでなく、金大堅・裴宣の見せ場でもあるのですが。この三人が王慶軍の捕虜になったくだりです。

王慶討伐の偉業を記した石碑をつくることになったので、揮毫係の蕭譲、印章係の金大堅、文面をつくる係(多分)の裴宣の三人は現地へと赴きますが、道中で運悪く王慶の軍勢とぶつかってしまい、捕らえられて荊南の城へ連れて行かれます。

三人は投降を勧められるも拒絶し、いくら殴られても膝を屈せず、しまいには縛られたまま城内の住民の見世物にされて、辱めを受けます。そんな彼らの姿は、城内にいた一人の義士・蕭嘉穂(蕭譲と同姓ですね。偶然でしょうけど)の、王慶軍への怒りに火をつけました。

蕭嘉穂はビラを撒いて同志を募り、城内の住民の力を合わせて城にいた王慶の軍勢を追い出し、三人を救出します。

蕭嘉穂が「住民の力で為政者を追い出す」という偉業を成し遂げたのも、もとはと言えば、捕まった蕭譲・裴宣・金大堅が暴力に屈せず、毅然として宋朝(元梁山泊)への忠誠を貫いたから。三人はタコ殴りにされた上に縛られて、外見こそ無様だったでしょうが、魂は城内の誰よりも誇り高かったでしょう。少なくとも蕭嘉穂は、そう感じていたはずです。

このくだり、語るべきところの少ない王慶の段のなかでは、かなりの名場面だと個人的には思っています。

 

 

習字が特技のインテリではあるものの、特別機略に優れるわけでもない蕭譲は、言わば「普通の人の延長上の存在」。我々からそれほど離れたところにいるわけではありません。

その蕭譲がここ一番で、知恵や勇気を発揮します。

 

我々はきっと、呉用や武松や戴宗みたいな、人間離れした存在にはなれません。しかし、王慶の段の蕭譲のように、場面に応じてなけなしの能力を総動員し、自分にできるやり方で状況を打開していくことは、ひょっとしたらできるのかもしれない。

それも好漢のあり方のひとつだろうし、そんな好漢に僕はなりたいと思うわけです。

 

 

まあ、今回「蕭譲」と答えたのは完全に気分なんで、一週間後、二週間後に訊かれたら、また全然違う答えを言うかもしれませんけどね。

梁山泊というのはそれくらい、魅力にあふれた「普通の人の延長上の存在」が、ゴロゴロしている場所なのです。