梁山から来ました

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水滸伝関連書籍bot ひとこと感想 071


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「あっぱれ戦死」と言えば聞こえはいいんですけどね…うん……。

 

どうやら、章回小説の作者にとって「ぴったりの回数までに物語をひと段落させねばならない」という強迫観念は、かなりのものだったようです。

王慶の段の作者にとって、「百十回までに王慶討伐を終わらせる」「王慶討伐が終わるとともに田虎の段で仲間になった武将たちを全員退場させる」、どっちもやらなければならないのは、結構辛いことでした。

王慶の身の上話をあまりに詳しくやり過ぎたために、元田虎軍の武将たちを戦いの中で殺しきれず、尺が足りなくなってしまったんですね。

(とは言え個人的には、王慶の身の上話は、割と面白い趣向だと思ってます。この話はまた別の機会に。)

 

王慶の段の作者は(おそらく)頭を掻きむしって悩んだ挙げ句、戦いの終盤に、余った武将たちを一挙に片付けることにしました。

元田虎の副将ばかり7名を、500の兵とともに、王慶軍が作った落とし穴に叩き込み、上から鎗でグサグサぶっ刺したんですね。

これでは歴戦の猛者たちもひとたまりもありません。安先生を呼んでくる暇もなく、十把ひとからげに肉塊になってしまいました。

ただ彼らの上官の孫安は、格上なのでもう少し丁寧に殺されました。闘いが終わってから、「急病で亡くなった』との知らせが、宋江たちにもたらされたわけですね(それはそれで酷い気もしますが)。

 

この落とし穴のくだり、初めて読んだときは唖然としました。死んだのは108星の下の方に輪をかけて活躍が少なく、特徴にも乏しい人たちだったので、「悲しい」という感情はなかったんですが、あまりの展開にもう圧倒されるばかりでした。

 

 

……とは言っても、

戦場ともなれば、「一つの隊が一瞬にして潰滅する」というのは、割とよくあることのはずで。

そして中国の歴史においては、統一王朝の支配が隅々まで及ぶ平和な時代よりも、あちこちで農民や節度使の反乱、異民族の侵入が起こっている「乱世」の時代の方が長かったわけで。

 

明末から清にかけての百二十回本の読者たちから見れば、「もう少し人の死を重く扱ってほしい、一人ひとりの死に何らかの意味づけをしてほしい」という気持ちを持ってしまう21世紀の我々こそが、奇特な存在に見えるのかもしれません。

 

 

 

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