梁山から来ました

中華圏の小説、ポーランドボール、SCP財団、作曲、描画などが好き。皆様のお役に立てる/楽しんでいただけるコンテンツ作りを目指して、試行錯誤の日々です。

十数回目の『水滸伝』通し読み記録 011

以前、「ひとこと感想」のコーナーで、張横の渾名「船火児」に対する高島俊男先生の「船に火をつけるわけではない」というツッコミにかこつけて、

「朝廷と戦ってるときに船を火攻めすればよかったのに」

という話をしたことがあります。

 

今回、通し読みしてみましたら、思いっきりやってましたね、火攻め。それもモロに、高俅軍と戦ってるときに、劉夢竜と牛邦喜の艦隊に対して……。

自分の記憶のあてにならなさに愕然としました。はい。

 

言い訳をさせていただきますと、『水滸伝』のリメイクとして後世につくられたマンガ、小説、ドラマ等を見ていると、七十回までの内容は、結構きちんと取り上げられるのに対し、勢揃い以降の話はおざなりで、特に対朝廷戦と征遼は全くやらない、あるいは2〜3ページのダイジェストにされることが多く……、

いや、「ちゃんと原作読めや」って話ですよね。本当に面目ない。

 

ちなみに言うと、百二十回本の増挿部分ではありますが、水攻めもよく見たらありました。李俊ら水軍頭領たちが、田虎の一拠点を攻略するのに使って、成功させています。

 

ただ気になるのは、上記の火攻め・水攻め、どちらにも、単廷珪と魏定国が関係していないんですよ。

作戦実行中、二人の名前は一切現れず、終わってから「火攻め(水攻め)やるなら混ぜてくれればよかったのに!」などと不平をもらすこともありません。

なぜだ……!!ただ飯喰らいの空気メンを活躍させる絶好のチャンスだというのに……!!

 

もし、火攻め(水攻め)をやると決まったときに、関勝とかが

「ならば、戦術の詳細は魏将軍(単将軍)に詰めさせればよろしいでしょう」

と進言し、宋江呉用が「それはよい」と言って魏定国(単廷珪)を連れてこさせて陣頭指揮を取らせることにし、作戦実行にあたって魏定国(単廷珪)が実行部隊の頭領たちに

「各々方、安心めされよ。この作戦、必ず成功させてみせます」

とか何とか言ってれば、それだけで、後世の読者(というか俺)の記憶に定着する確率は、10倍は跳ね上がったはずです。

たかだか五、六行増えるだけじゃないですか。このくらいの読者サービスはやっといてくださいよ、施耐庵羅貫中)さん。

 

……なんてね。作戦そのものを忘れてたことに対する言い訳ですね。はい。