梁山から来ました

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十数回目の『水滸伝』通し読み記録 007

さて。

1度目、2度目の通し読みのときは、目まぐるしく変わる戦局、雪崩を打って入山してくる仲間たちに翻弄されて、細部があまり気にならなかった(…と思う…なにぶん、15年以上前のことなので)わけですが、十数回目ともなれば、一つ一つの表現にツッコミを入れたり、重箱の隅をつっついてみる余裕もできてくるわけです。


三山が梁山泊に合流したあとの話。魯智深史進を迎えに少華山へ行ったら、悪い太守に捕まってて、腹を立てた魯智深が一人で太守のところに出かけて行って自分も捕まってしまったエピソード、あったじゃないですか。
あの悪役の賀太守、どんな風にやられたか、憶えていますか?

……そう、宋江たちは西岳にお参りに来た宿太尉から衣服や祭具等の一切を借り、宿太尉一行のフリをして太守に近づいたのでした。
で、最後は「解珍と解宝が匕首(あいくち)を取り出して太守の首をサッと斬り取った」とあります。


ただですね。
よく考えてみると、あの2人は(脳みそはテレパシーか何かで繋がってるかもわかりませんが)身体は2つありますよね。2人がそれぞれ1本ずつの匕首を使っていたとすれば、太守の首に到達するのは、どちらかの匕首が先で、もう片方が後ということになりやしませんか?
なぜ、「解珍が」でも「解宝が」でもなく、「解珍と解宝の兄弟二人が」と書くのでしょう?


限りなく同時に近いタイミングだったので、誰も後先を見極められなかった、とか?
それとも全く同じタイミングで、解珍は右半分、解宝は左半分(もしくはその逆)を斬った、ということか?
あるいは、2人で1本の匕首を使った……?
可能性としては「後先は確かにあったものの、先に斬ったのが解珍なのか解宝なのかは、その場にいた頭領の誰も判別できなかった」ということも考えられますね。
(ちなみに、その場にいたのは宋江呉用、楊雄、石秀、花栄、徐寧、朱仝、李応だそうです。顧大嫂か孫新がいれば、見分けられたと思うんですけどね……。孫立ならどうでしょう?うーん、怪しいと思います)


わ、わからん……。
考えても答の出るような問題ではないだけに、気になりだすと止まりません。
実は『水滸伝』のあらゆるところに、まだまだこういう罠が隠れているのかもしれませんね。
自分がこれまで、気づかなかっただけで。