梁山から来ました

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水滸伝関連書籍bot ひとこと感想 059


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宋江の人格については、おそらく読者の数だけ意見があるのだろうと思います。日本国内で出版されている書籍だけでも、著者の先生方の考え方は十人十色、見ていて全く飽きが来ません。

 

自分はと言えば、上記の『女子読み水滸伝』の著者様の考え方に概ね同意しています。

宋江は登場人物の誰よりも「物語上の必要性」に翻弄される立場にあり、そのため人格が分裂しているように見えることもしばしばですが、そのなかで敢えて彼を「一貫した性格を持った一人のキャラクター」と捉えるならば、

「心の底から兄弟たちの幸せを願い、彼なりに懸命に行動した結果がこれだよ!」

……と考えるのが、一番矛盾がない気がします。

 

 

昔聞いた話なんですが、

悪いことをする人のなかで、「自分のやってることは悪いことなんだ」と自覚している手合いは、むしろ少数派なんだそうです。

人間は「悪いこと」のために身体の底から強大なエネルギーを絞り出すことは、そう簡単にはできないんですね。

 

ではそうでない人たちは、何を思って「悪いこと」を仕出かすのかと言えば、

「自分は正しい側の人間で、世の中の間違っていることを正常に戻すために行動しているんだ。そのためには多少の犠牲を覚悟しなければならないが、それも大いなる正義を実現するための、必要不可欠な要素なんだ」

と。ざっとこのようなことです。

 

そして、そういう「善意の人」が、信念に基づいてする行動こそが、最もタチの悪い結果を生み出したりするわけで……。

どうでしょう。

我らが水寨の総大将も、そんな「善意の人」だったと仮定すれば、

色んなことに説明がつきそうな気がしてきませんか。

 

 

 

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