呼延灼「父子三人進退に窮し、このうえは飲馬川に行こうと、ひたすらやって来ると、なんとまのいいことに朱の兄ごに出っくわし、そこへまた思いもよらず楊君にも会えるとは!」
— 水滸伝関連書籍bot (@shuihu_related) 2019年12月14日
【後伝第20回】
後伝のこのシーンで呼延灼が「父子三人」と言っているのは、自身と実子の呼延鈺、それに徐寧の息子の徐晟のことです。
これより少し前、呼延灼は徐晟を街中で見かけて声をかけ、身寄りがなくなったことを知って引き取り、義理の息子として育ててきたんですね。
窮地を脱した後に朱仝、楊林と立て続けに再会し、ほっと一息ついたところで口から飛び出た、何気ない言葉です。
サラッと徐晟を「子」の括りに入れていますね。呼延灼にとって徐晟は我が子同然、実子の鈺と同じように、大切な存在ということでしょう。こうした細部の表現に、図らずも心動かされてしまいます。
現代でも、事情があって本当の親と一緒に暮らせない子はたくさんいますが、「親がいない=不幸」と決めつけることは、一概にはできないと思います。
血を分けた親ではなくても、親と同じようにいつでも見守り、自分の成長を喜んでくれる大人がいれば、子どもがまっすぐ育つ可能性も、高くなるというもの。
今は亡き徐寧も、一時の対立関係を水に流して息子を実の子同然に扱ってくれる呼延灼に、雲の上のような平和な場所から、日々、感謝しつづけていることでしょう。
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