梁山から来ました

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水滸伝関連書籍bot ひとこと感想 057


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穆春は、『水滸伝』本伝でも兄がいないと何も成し遂げられないダメな子でしたが、『水滸後伝』においてもそのダメっぷりは健在で、あれほど栄えた家を人に明け渡し、無一文でゴロゴロしています。

蒋敬を助けたことでまとまった金を手にし、家を取り戻そうと勇んで出かけたはいいが、

あわれ、賭け事の引き際を見誤り、賭けた金をごっそり持っていかれることに……。

 

ところで今、『嘘喰い』というギャンブルの漫画をアプリでちまちま拝読しているのですが、

「賭け事の引き際を誤る愚かな人間というのは、今も昔も変わらずいるもんだなあ」

と、しみじみ思います。

いくら社会が発達しても、人間の根っこの部分は、大して変わりません。

 

あと、「水商売の異性に本気で入れあげて身を持ち崩す愚かな人間」も、やっぱり変わらずいますよね。

海千山千の相手の言うことを真正面から受け止めて、ホントに付き合ってる気になってしまう人ね。

安道全や再登場後の史進を笑い飛ばせない現代人、結構多いんじゃないですか?

 

「ギャンブルは遊び」と割り切ることができず、緻密な計算力と強靭な精神力を併せ持っているわけでもない人は、賭け事なんかしちゃいけないんですよ、きっと。

同様に、「水商売のお店に行くのは遊び」と割り切ることができず、玄人を口説き落とせるほどの容姿なり財力なりテクニックなりを持っているわけでもない人は、水商売のお店に行ったりしちゃいけないんです。

 

自分は、「遊び」と割り切ることができず、並外れた能力を持つわけでもない、弱く愚かな人間なので、賭け事や水商売には近寄らないようにしています。

物語のなかでそれらの世界を垣間見て、「世の中には、すごい人たちがいるもんだなあ」と思う程度にとどめています。

 

 

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