梁山から来ました

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水滸伝関連書籍bot ひとこと感想 046


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個人的には、この

「表面的には平和な時代を舞台としている」

という点が、『水滸伝』という作品の、大きな魅力のひとつであると考えています。

 

古今東西、戦乱の世を題材とした作品は数多いですが、実はあまりピンとこない部分がありまして…。

というのも、頭が悪いので、数がちゃんと数えられないんですよ。

同じような規模の勢力が三つとか七つとか出てくると、もう混乱してしまうのです。

 

「圧倒的な存在が我々の天下を支配している」という前提がまずあって、それに対抗する勢力が内外にいくつか見られる、という構図の方が、ずっと分かりやすい気がするんですが……

まあ、そんな妙な脳の構造してるのは、自分だけかもしれませんね。

 

 

そんな個人の脳の問題はさておき、です。

「表面的には平和な時代」を舞台としたエンタメの価値は、今だからこそ再評価されていいと思うんですね。

たくさんのひずみを「見なかったこと」にして、安穏とした生活を続けているのは、北宋末の庶民も我々も、同じなのかもしれません。

社会の進化によって「ひずみ」の質は多少変わったかもしれませんが、それが依然として存在していることは、否定しえない事実でしょう。

 

智取生辰綱のワンシーンで、

「今は太平の世ではない」と言う楊志さんに対し、

都管(蔡京の娘、つまり梁中書の妻の乳母の夫)が「言葉を慎みなされ」と詰め寄る場面があります。

七人の棗売り登場の直前ですね。

 

この場面をうまいこと、……ね。

ぜひ今後、水滸伝を題材に何か書かれる方には、大切にしていただければうれしい限りですし、

自分もまあ、……ね。その、はい、……です。