水滸伝関連書籍bot ひとこと感想 039
宋江が〈中略〉魅力に欠けることは、すでに多くの論者にも指摘されています。このあと宋江は紆余曲折を経て〈中略〉梁山泊のリーダーになるのですが、この経緯にも説得力に欠けるものがあります。要するに、宋江は噂社会の虚像にすぎず、『水滸伝』の物語世界ではまったく影が薄いのです。
— 水滸伝関連書籍bot (@shuihu_related) 2019年9月12日
【五大】
中国の前近代を舞台とした物語で、主人公がある組織のリーダーになる場面では、一種のテンプレ化された様式が使い回されていると思います。
まず、先人が築き上げた組織が存在していて、そこから突然、頭領がいなくなります(殺されるケースが多いですね)。リーダー不在の緊急事態において、メンバーたちは満場一致で主人公を次の頭領へと推戴します。
主人公は再三、断るのですが、メンバーたちの思いは強く、どうしても引き下がろうとしません。これ以上リーダーが決まらなければ組織がどうにかなってしまう(外から攻められるか、中から叛乱が起きるか)という段になって、ようやく主人公は、組織のために頭領になることを承諾する、という流れです。
『水滸伝』は言わずもがなですが、『水滸後伝』の李俊が暹羅国の王になった経緯もそうですし、武俠小説になりますが『書剣恩仇録』の陳家洛と『倚天屠龍記』の張無忌が同じパターンです。
思うにこれは、中国の前近代における語り物の世界のなかで、主人公がいかに仲間から強く信頼されているかを示す、効果的なストーリー展開だったのでしょう。
もう一つには、主人公が私的な権力欲からではなく、飽くまで組織の維持及び繁栄のために、リーダーの役回りを引き受けるのだと、聴衆(読者)に訴えるためですね。
ただ、我々21世紀の読者たちは、いくら形式が立派だろうと、主人公に中身が伴っていなければ、こうした展開を「白々しい」とか「茶番」と捉えてしまいます。
どうして宋江のような人間が主人公なのか、作中でこれほど熱い支持を得られたのかは、これまで、多くの論者たちが考察してきたところ。
その議論を見比べるだけでも、『水滸伝』という物語の奥深さを垣間見ることができます。