梁山から来ました

中華圏の小説、ポーランドボール、SCP財団、作曲、描画などが好き。皆様のお役に立てる/楽しんでいただけるコンテンツ作りを目指して、試行錯誤の日々です。

水滸伝関連書籍bot ひとこと感想 026


胥吏とは、中央から派遣されたキャリア行政官の下で実務を行う人々で、政府から給与は出なかったそうです。
では収入源はと言うと、人民に行政サービスを提供する際に巻き上げる、手数料であったとか。


これは、人民に対し横暴な人ほど儲けが多くなる仕組みです。現代ならば真っ先に「制度が悪い」と非難されるところですが、
…まあ、時代が違うから仕方ない。
「人民の福利厚生」という概念すら、あまり発達していなかった頃です。

それでは政府は何のために存在していたかと言えば、戦争、大規模工事、そして治安の維持でしょうね。(その限定された目的すらろくに果たせない時代は、たくさんあったわけですが)


さて、「一人でもいいから立派な胥吏がいてほしい」という大衆の願いについてです。
これは、複雑な社会を形成するようになって以来の、人類の普遍的な感情かもしれません。

「市民を守るという使命に忠実な、立派な警察官がいてほしい」
「国の将来を心の底から案じる、立派な政治家がいてほしい」
「スポンサーの圧力に負けず真実を人々に伝えようとする、立派なマスコミ関係者がいてほしい」
「世間体や親からの評判よりもまず生徒のことを思って行動する、立派な教師がいてほしい」
こうした願いをベースとした想像力が、現代に至るまで、たくさんのフィクションを生み出してきました。


…とは言っても、上記のような立派な人が一人もいないわけでは、ないんですけどね。
就業当初に抱いていた正義感と、現実とのギャップの間で悩みつつ生きている人が大多数だと思います。


中国前近代の胥吏の中にも、人民に辛く当たりつつも、「これも生活のためなんだ。すまない」と、心の奥底で詫びていた人がいた……んじゃないかな……たぶん……何人かは。
そう信じたいのが、人情です。


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